このページで紹介する宿場は中山道69次の37番福島宿。
江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡、または残っていないものも紹介しています。
中山道史跡専門のガイドブックのように活用できるよう心がけて編集していますが、特に個人的興味は江戸時代の中山道なので東山道時代または明治期以降の史跡についてはあまり関心を払っておりません。
史跡ポイントの紹介はできるだけ日本橋方面から京都に向かって載せるようにしています。
各宿場の境は中山道69次資料館館長 岸本豊氏の著書を参考に設定しています。異議・異論ある方いらっしゃいましても暖かくスルーしてください。
写真はタップまたはクリックするとすべてとはいえないかもですが拡大表示されるようにしています。
中山道69次の37番福島宿情報
基本情報
引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本
本陣位置
今は碑のみ建っている。
高札場位置
▼ここが福島宿の西側(京方)入り口になる。洗馬から福島までは京方入り口に高札場が置かれていたとのこと。(中山道浪漫の旅西編より)
ただ実際にはこの高札場から西よりにも上の段というきれいな町が続いているんだが。
無料駐車場位置
地域内に数か所無料で利用できる駐車場がある。詳しくはこのページ最下部にある地図に乗っているので参考にされたい。
周辺の宿泊施設
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各史跡について
できるだけ江戸方面から近い順または見て回りやすい順に掲載しているつもり。
取材日
- 2021年8月11日前日から馬籠宿、妻籠宿など横綱級を廻りつつ家に戻りながらここにも寄った。下調べをあまりしていかなかったので意外な街並みの綺麗さにしばし呆然とする。
- 2022年8月12日 二泊三日の車中泊ドライブで今回は最初の目的地にして行った。前回は上之段しか見ていなかったので今回は下之段を重点的に歩いた。といってもそんなに長時間ではないが。
- 2023年4月22日 二泊二日の車中泊ドライブの最後の地点として行った。だいたい見ているので周辺の木曽義仲の墓とか代官屋敷とか中心に見た。
- 2023年8月5日 カメラを新しくしたのでウキウキして出かけたが暑かった。
写真とコメント
水無(すいむ)神社
飛騨国一宮水無神社から樵の宗助と幸助兄弟が勧請したという言い伝えで祭りのときには「そうすけこうすけ」という掛け声で神輿を壊すらしい。
水無(すいむ)神社の位置
木曽義仲公之墓
巴御前が義仲の遺髪を持ち帰ったとされる。ここのほかに育った宮ノ越や討ち死にした大津にも義仲の墓はある。
興禅寺という寺の墓地内にあるように見えたがウィキペディアで確認すると徳音寺らしい。特にこれが木曽義仲の墓ですよとは書いていない。グーグル・マップの口コミに載っている写真を参考にしてこれかなと想像した。まあ、いうても他人の墓だからそんなに詮索しても仕方がないのでここらへんに遺髪が葬られているということだけわかればいいかなという感じ。
ちなみに木曽義仲といえば我が埼玉県の嵐山町が生誕地として通説になっている。
武田信玄の供養塔
みどころは境内北東隅に娘真理姫が建てた五輪塔。山門脇の地蔵石像は名石工守屋貞治作とのこと。
武田信玄の供養塔の位置
福島関所跡(国史跡)
東海道の箱根・荒井、中山道の碓氷と並ぶ湯治の四大関所の一。番所は位置を変え再建され資料館となっている。
福島関所という駐車場に停めたにも関わらず行き損なった。番所跡は礎石が保存され現在は関所資料館が建っている。
浮世絵描画地
福島関所資料館
高瀬家資料館
関所番を務めていた家で、島崎藤村の姉の嫁ぎ先。熊胆を調合して奇応丸という薬も売っていた。奇応丸の効能を調べると宇津救命丸と似ている。場所は確認したけど中には入らなかった。
島崎藤村の姉園の嫁ぎ先で小説「家」の舞台。今は藤村資料館になっている。
山村代官屋敷東門跡
門が残っているのかと思って行ったら石垣が残っている状態だった。石垣に紀行文の一部が彫り込まれている。
誰の紀行文かというと尾張藩の殿様がここに泊まったとき随行していた家来の一人が書いた紀行文とのこと。
山村代官屋敷
屋敷の大半は小学校敷地に変わったが、下屋敷が城陽亭として公開され庭は木曽駒ヶ岳を借景とする庭園がみどころ。
入場料が300円ぐらいだったと思う。まあまあ広くて見応えは十分あった。
白木屋本陣跡
復元高札場
洗馬から福島までの区間では高札場は京方入口に置かれていたのでこれは元の位置とは違う。
大通寺 真理姫の供養塔
江戸初期山村代官により建てられた。武田信玄の木曽支配で木曽義昌に嫁いだ。
大通寺 真理姫の供養塔の位置
福島宿上の段
袖卯建の建物やなまこ壁の土蔵や宿場用水がみどころ。奈良井や妻籠ほどの完璧さではないがそれでもいい感じに街並みが残っている。
▼高札場から少し京方へ進んで角を2度曲がって振り返ったところは馬籠宿とも似た景色だけどおそらくここが桝形かなと思う。古井戸が街のなかに普通にあったりするのは風情がありますな。
湧き水なのかわからんが用水路がきれいに流れていて夏には気持ち良い。
崖家づくりの町並み
前回見ていなかったのを2022年8月に再訪したときに見た。木曽川の川端極限まで屋敷割されていたのは平地が少なかったため。
津島神社 木曽の棧芭蕉句碑
更科紀行から78年後に地元の俳人が木曽の棧に置いた句碑がその後埋もれていたのを明治期に発見され現在ここに置かれる。「かけはしや命をからむ蔦かづら」
津島神社 木曽の棧芭蕉句碑の位置
塩渕一里塚跡
旧中山道がかなり奥まったところに相対的に引っ込んでいる地域で公民館のような建物の敷地内に石碑を標識が立っている。
御嶽山遥拝所
御嶽四門の東門にあたるが現代では御嶽山はここからでは見えないらしい。
御嶽山遥拝所の位置
沓掛馬頭観音
沓掛一里塚
随分高台にあるように感じたが下を通る道はあとから通したもの昔の中山道は高台を通っていただろう。東塚が鉄道敷設のため崩され西塚が残っているということは旧中山道は現存の塚よりさらに東を通っていたということになる。坂の下に石碑もある。
沓掛一里塚跡はあるにはあったが原型をとどめいているのかいないのかよくわからなかった。下の画像はその隣にある馬頭観音堂で一見するとここが一里塚のように盛土になっている。
この馬頭観音堂は木曽義仲が自分の馬で川を渡ろうとした際に死なせてしまいその供養のために建てたというような逸話が残っているそうだ。
個人的に未踏破な史跡
- 上記写真のないもの
マイマップ
地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。
地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。
動画も撮った
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
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中山道浪漫の旅 東編[改訂版]
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中山道浪漫の旅 西編[改訂版]
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