このページで紹介する宿場は中山道69次の38番上松宿。
江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡、または残っていないものも紹介しています。
中山道史跡専門のガイドブックのように活用できるよう心がけて編集していますが、特に個人的興味は江戸時代の中山道なので東山道時代または明治期以降の史跡についてはあまり関心を払っておりません。
史跡ポイントの紹介はできるだけ日本橋方面から京都に向かって載せるようにしています。
各宿場の境は中山道69次資料館館長 岸本豊氏の著書を参考に設定しています。異議・異論ある方いらっしゃいましても暖かくスルーしてください。
中山道69次の38番上松宿情報
基本情報
引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本
本陣位置
今は歯医者さん
高札場位置
無料駐車場位置
特になさそう。高札場付近に路上駐車した。すみません。
▼ここは有料だが30分以内の利用なら無料という情報がGoogle Mapsで見られた。
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各史跡について
取材日
- 2022年8月13日 二泊三日の車中泊ドライブの最終日に寄った。初回はあまり下調べをしていないので雑に見たのみ。
- 2023年5月12日 妻と二泊三日の妻籠宿馬籠宿探訪の途中で寝覚の床と寿命そば越前屋に寄った。
- 2024年8月12日 真夏で木曽路といっても日中35℃近くあり危険な暑さだった。
写真とコメント
桟磨崖銘文
尾張藩が桟道の一部を石垣に改修した年で「此石垣慶安元戊子年六月良辰成就焉畢」と刻まれる。1648年。
桟磨崖銘文の位置
木曽の桟(国史跡)
桟は「はし」というが川に渡すのではなく川と並行して板や石を設置しそこを通るもの。なんでこんなところ通るのかと思うが、この辺りまわりは山ばかりで大きい川の沿いが平坦で比較的歩きやすかったあったためこういうところをそろそろと渡って通らなければならなかった昔の人の苦労が少しわかる気がする。
川に沿った崖に道を作るのに当時は木を崖に打ち込んでそこに板を載せて通路を作ったとか。写真の石垣はその最初の頃よりずいぶん時代が下ったもので、その石垣を史跡として残して上に国道を建設している。
弥生新茶屋立場
今も2軒の民家が残る。行きにくそう
弥生新茶屋立場の位置
高札場跡と地蔵尊と馬頭観音
上松宿から大井宿までは高札場が江戸方入口付近に配置されている。
上松宿の上町
昭和25年まで昔の情景を保っていたが大火に見舞われ、ここらだけ延焼を免れた昔からの家が並ぶ。100m程度であるが古い街が火災での焼失を免れて残っている。十王橋の高札場からすぐ。
原家脇本陣・問屋跡
門のみ往年を忍ばせる形で残っているが、奥は2024年時点では更地であり、なにか作る計画があるかもしれない。
藤田家本陣跡
本町一里塚跡
宿内にあったため江戸時代後期にはすでに東塚のみになっていたらしい。上町を歩いて京方面へ行くと数百メートルのところにある。
旧中山道
歩道橋脇の狭い道が本来の旧中山道
旧中山道の位置
尾張藩上松材木役所跡
尾張藩は山村代官(’福島宿)から山林業務を取り上げ直轄管理した。
諏訪神社
常夜灯
往年のものかどうかわからない。
茶屋たせや遺構
多勢屋は茶屋本陣で上段の間があった。
茶屋たせや遺構の位置
旧越前屋旅館(旧寿命そば越前屋)
寿命そばが名物で「続膝栗毛」に出る越前屋の挿絵は喜多川歌麿が描いたとされる。現在も越前屋はここの坂を下ったところに移転して営業している。寝覚めの床から坂を登っていくと旧中山道につきあたり左右に古めかしい建物が残っている。北側が多勢屋さんで南側がこの寿命そば越前屋さんだ。
この寿命そば越前屋さんは現在は坂を下った寺の真向かいに店を構えて今でも健在に営業している。
暇そうだったので看板娘と思しき女性と少し話ができた。聞くところによると旧中山道沿いのこの建物は老朽化していて住居にはもはや適さないものの維持費を県または国などが補助してくれるわけでもなくいずれは取り壊さなければならないかもしれないと言っていた。
頼むからこういう貴重な文化財は税金使ってでも残すようにしてほしい。クールなジャパンの建造物がなくなるのはあまりにも惜しい。
桂
幹の周囲が4mあるという大木。
桂の位置
臨川寺(寝覚の床有料入口)
ここを通って寝覚の床へ行くには通行料200円ぐらいを払う必要がある。ちなみに19号線を少し京都方面に行った先に美術館がありそこの駐車場から行けば無料。
臨川寺(寝覚の床有料入口)の位置
寝覚の床
景勝地であるが水力発電所による水位の低下で露出するようになったという話があるが昔の人も本や歌に詠んでいるのでそれはなさそう。寝覚めというのは浦島太郎が目を覚まして竜宮城なんかは夢だったのかと考えたとかいう伝説によるもの。そもそもウミガメの背中に乗る浦島太郎の話と内陸の川の話でぜんぜん噛み合わない気がする。
寝覚の床へ降りていくには臨川寺という寺の境内を通るルートと美術館からのルートとあるようで、美術館の駐車場から降りていくと無料で寝覚の床へ行ける。
一方、寺の境内を通るルートを使うと入園料を払わされる。決して寝覚の床そのものが有料施設ではないのだがおそらく寺の敷地を通るだけの通行料を取るのだ。
関係ないが寝覚の床へ降りていく途中で中央本線撮影にうってつけのポイントがある。ちょっと鉄塔がじゃまだけどな。
松原
昔は赤松が生えていたらしいが、現在は補修された石畳。
松原の位置
滑川橋と改修時の磨崖銘文
滑川橋は桟、伊奈川橋とならんで木曽三大橋と呼ばれていたそうで、かつては刎掛橋だった。尾張藩が大改修した際に馬頭観音脇の壁面に「石垣 文化元年申子年八月下旬に出来」と彫ってあるらしい。
滑川橋と改修時の磨崖銘文の位置
小野の滝
洗馬宿で松に肘をかけたことでおなじみ細川幽斎が「老の木曽越」でここのことを書いて有名になったらしい。歌川広重浮世絵描画地でもある。
個人的に未踏破な史跡
- 上記写真のないもの
マイマップ
地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。
地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。
気になる史跡が青、無料駐車場が黄色P、宿泊施設がオレンジベッド、道の途切れが赤い銃のマークでそれぞれ載せてある。鋭意更新中。
動画も作った
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
参考にした書籍中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
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上記の著者 岸本豊氏の運営する中山道69次資料館についての記事も別ブログで書いているのでご興味があればどうぞ。
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