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中山道69次16番 松井田宿 碓氷関所手前の宿で「おぎのやの釜飯」は全国的に有名

宿場

このページで紹介する宿場は中山道69次の16番 松井田宿。

江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡を紹介しています。

ガイドブックのようにどなたでもご活用いただけるよう中山道専門サイトとなるよう常に編集しています。

史跡ポイントの紹介はできるだけ日本橋方面から京都に向かって載せるようにしています。

中山道69次の16番 松井田宿情報

基本情報

  • 本陣:2
  • 脇本陣:2
  • 旅籠屋:14
  • 家数:252
  • 坂本宿9.1km←|→9.7km安中宿

引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本

本陣位置

金井本陣(下の本陣)は信用組合の場所で碑なし。上の本陣は地図上に記してあるが正確な位置は管理人未確認。

高札場位置

五料村の高札場は地図上に記してあり、実際に標示されていてわかるが、松井田宿の高札場は不明。

無料駐車場位置

各史跡ごとに記すが2箇所そこそこ広い無料駐車場がある。

一箇所は現在無料休憩所になっているみなとや旅籠の斜め向かい、もう一箇所は横川茶屋本陣跡の向かいの町営駐車場だ。

各史跡について

できるだけ江戸方面から近い順または見て回りやすい順に掲載しているつもりです。

取材日

2021年5月2日 中山道69次に凝りだして車中泊しながら3泊ぐらいで行こうと意気込んで行ったものの軽井沢あたりで酷い渋滞に巻き込まれ意気消沈して日帰りで帰った。

2023年9月30日おぎのやで峠の釜飯を食べることを目標に松井田宿だけ一箇所ずつ見て回った。

写真とコメント

それぞれの位置情報は記事下の地図を参照してほしい。

妙義山眺望地のあたり

地図

金井本陣(下の本陣)跡

地図

上の本陣松本家このあたり

地図

みなとや旅館跡

駐車場はすぐ前に3台分程度あるが空いていないときは道を挟んで斜め向かいに無料駐車場入口があるので心配無用。

現在は無料休憩所になっているらしいが利用しなかった。このへんを歩いて散策するのであれば長時間停めておける斜向かいの広い駐車場が便利だ。

松井田宿みなとや旅籠跡

ここはかつてみなとやという江戸時代以前から昭和後期まで営業していた旅籠だったが、平世19年に地元商工会によって休憩所を開いた。

龍本山 松井田院 不動寺(松井田不動尊)

不動堂の不動明王(県文化)、仁王門(県文化)前の石塔婆(県文化)には観応三年と北朝年号が刻まれていてみどころ。
地図

旧松井田町役場

中山道69次の歴史からは逸れるが近くに廃墟のようなこれがあったので写真を残しておく。ちょっと近づきにくいような廃墟になっていて中には入れないようになっている。廃墟マニアは外観だけでも見に行ってはいかが。

松井田宿旧松井田町役場松井田宿旧松井田町役場

松井田城跡

松井田城跡北駐車場に行くしかない感じ。写真は駐車場から撮った城の入口だ。

上州最大の山城で安中忠政と武田信玄の戦、大道寺政繁と前田利家の戦で2度落城している。東の安中郭、西の大道寺郭があり多くの堀切が残る。

ここから先に行くと東の郭や西の郭が見られたのかもしれないがクマ注意とか蜂大量発生とか警告が多すぎてやめた。

松井田宿松井田城跡

補陀寺の大道寺政繁の墓

駐車場は交差点から北に進み左手の門入ったところにある。

関左法窟(関東屈指の禅寺)の異名があるが寺の入口上にかかっている扁額にも関左法窟とあった。本堂西に大道寺政繁(松井田城二度目の落城の主)の墓がある。落城後は小田原攻めの道案内をしたが不義の罪で切腹させられた。宿敵前田家の大名行列のときは悔しさで墓が汗をかくと言われた。

松井田宿補陀寺大道寺政繁墓所松井田宿補陀寺大道寺政繁墓所

▼本堂から左に西側墓地への入口がありそこを進む。▼あとは案内板に従って行けば大道寺政繁の墓がわかる。

松井田宿補陀寺大道寺政繁墓所松井田宿補陀寺大道寺政繁墓所

▼掲示板には説明が書かれており要約すると知略と武勇を兼ね備えた武士だったそうであるが前田利家との籠城戦で降伏した。その後、北条攻めのあとで豊臣秀吉より切腹を命じられ自刃した。当初遺体は別の寺に葬られたが松井田の家臣たちが夜陰に首だけ盗み、ここ補陀寺に葬ったとのこと。

松井田宿補陀寺大道寺政繁墓所松井田宿補陀寺大道寺政繁墓所

立派に葬られていて現代でもその武勇知略を敬慕して墓参りに来る人が絶えないかどうかは知らない。

松井田宿補陀寺大道寺政繁墓所

新堀一里塚跡

駐車場はないが車の通りは多くないので極短時間であれば路駐に目をつぶってもらおう。

新堀字漆原一里山と標示。平柳家の庭に小丘にて名残。▼すぐそばには道祖神碑が立っていた。飼い猫だと思うが猫が数匹このあたりにいる。

松井田宿新堀一里塚跡ちかくの馬頭観音松井田宿新堀一里塚跡近くの猫

新堀字漆原一里山と標示される。この後ろの平柳家の庭に小丘にて名残が残っているがいわれないとわからない。

松井田宿新堀一里塚跡近くの猫

五料の茶屋本陣

本家お西とお東が1年交代で茶屋本陣を務めた。名主中島家を有料公開。こちらはお西の茶屋本陣。

松井田宿五料茶屋本陣跡

安中藩板倉伊豫守領分五料村高札場跡

五料茶屋本陣から旧中山道へ降りたところにある。駐車場はないがすぐ前にちょっとした空き地があるので数分程度なら許してもらおう。

松井田宿安中藩板倉伊豫守領分五料村高札場跡松井田宿安中藩板倉伊豫守領分五料村高札場跡

茶釜石・夜泣地蔵 浮世絵描画地

茶釜を叩いたような音がする石は西100mに移設され夜泣き地蔵前にある。
地図

碓氷神社

碓氷峠の熊野神社の里宮。
地図

おぎのや本店

明治18年の横川駅開業に合わせてそれまで茶屋だった荻野屋が駅弁を始めた

おぎのや本店

駐車場あり。おぎのやといえば国道18号線沿いのおぎのやドライブインが有名だが、こちらが本店。

明治18年の横川駅開業に合わせてそれまで茶屋だった荻野屋が駅弁を始めた。それ以来、峠の釜飯として釜飯を売りに売りまくって今に至っているので人生というのはわからないと思う。駅ができたときに駅弁を売ろうと思いつかなかったらそのまま廃れて誰からも忘れ去られていたかもしれないではないか。

おぎのや本店ではなんとクレジットカードや電子マネーの類は一切使えず現金のみだ!(2023年)果たしていつまでそういう商売が続くのか。

味は毎度おなじみ。

松井田宿横川駅前と釜飯の荻野屋本店荻野屋本店の釜飯定食

余談だがおぎのや本店のホールではアルバイトと思しきお姉さん2人が働いていたが時給いくらもらっているか知らんがめちゃくちゃ楽なバイトだろうなと思った。

なにしろ客はだいたいドライブインに行くからそもそもほとんど来ない。来たとしても半数は持ち帰り釜飯を買うのみ。定食を頼んだ客には奥の厨房で作られている味噌汁とすでに工場で美味しく作られた釜飯を出せばいいだけ。食べ終わった味噌汁の椀は洗うかもしれないが釜は廃棄すればよい。楽そうだ。

おぎのや資料館(荻野屋本店向かい)

資料館にはなぜか鉄道の歴史ぽい写真がたくさんあった。鉄道マニアはここくるといいかも。

松井田宿荻野屋資料館

武井茶屋本陣跡

群馬県の指定史跡。代々横川村の名主を務め、幕末には坂本駅の助郷惣代も兼ねた武井家の西側の一部に位置する。建物は居宅部分と一体構造だが、居宅には二階があるのに対し、本陣部分は二階を作らず天井を高くしている。居宅と本陣は三尺幅の畳敷き廊下で仕切られ、襖が奥まで通じており、本陣には二つの控えの間と八畳の上段の間が配置されているらしい。
地図

個人的に未踏破な史跡

  • 上記写真のないもの

個人的に行ったまたは行っておきたい地点のマップ

地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。

地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。

参考にした資料

上記の他にもみどころいろいろ書かれている。

参考にした書籍
4784071741
中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)

¥1,483 (中古品)(2024/01/05 13:59時点の価格)
平均評価点:5つ星のうち4.1
>>楽天市場で探す
>>Yahoo!ショッピングで探す

4784072837
中山道浪漫の旅 東編

¥4,390 (コレクター商品)(2024/01/05 14:00時点の価格)
平均評価点:5つ星のうち4.6
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4784072942
中山道浪漫の旅 西編

¥1,760 (中古品)(2024/01/05 14:01時点の価格)
平均評価点:5つ星のうち4.4

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上記の著者 岸本豊氏の運営する中山道69次資料館についての記事も別ブログで書いているのでご興味があればどうぞ。

坂本宿9.1km←|→9.7km安中宿

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