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中山道69次2番 蕨宿 宿場内は電線地中化工事が進行中で景観が良い

宿場

このページで紹介する宿場は中山道69次の2番蕨宿。

江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡、または残っていないものも紹介しています。

中山道史跡専門のガイドブックのように活用できるよう心がけて編集していますが、特に個人的興味は江戸時代の中山道なので東山道時代または明治期以降の史跡についてはあまり関心を払っておりません。

史跡ポイントの紹介はできるだけ日本橋方面から京都に向かって載せるようにしています。

各宿場の境は中山道69次資料館館長 岸本豊氏の著書を参考に設定しています。異議・異論ある方いらっしゃいましても暖かくスルーしてください。

写真はタップまたはクリックするとすべてとはいえないかもですが拡大表示されるようにしています。


中山道69次の2番蕨宿情報

「蕨」名称の由来

立ち上る煙を見た源義経がこの地を藁火と呼んだことに因むという説や、このあたりに蕨が多く自生していたことによるという説などある。

蕨宿 – Wikipedia

基本情報

  • 本陣:2
  • 脇本陣:1
  • 旅籠屋:23
  • 家数:430
  • 浦和宿5.2km←|→8.9km板橋宿

引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本

本陣位置

2軒のうち1軒はここで、もう一軒は斜向かいにあったらしいが痕跡は残っていない。

高札場位置

不明

無料駐車場位置

無しだが有料でもお安いところがあった。1日停めても400円。荒川北岸を回るにはいい場所だ。

各史跡について

できるだけ江戸方面から近い順または見て回りやすい順に掲載しているつもりです。また位置情報は記事下の地図にまとめて入れておくのでご参考ください。

取材日

  • 2024年11月23日

写真とコメント

それぞれの位置情報は記事下の地図を参照してほしい。

富士大山道道標・庚申塔

大山詣でや富士講が流行っていたとみられ、寛政4年には「大山道 ねりま 川こへみち」と、万延元年には「是ヨリ冨士山 大山道」と彫られた道標が建っていたそう。

参考:信仰と行楽を兼ね備えた大山詣り | 伊勢原市
富士大山道道標・庚申塔の位置

志村清水坂

道が蛇行しているため中山道を京方面へ上るとき唯一富士山が右に見える場所ということで「清水坂の右富士」といわれていた。ただし科学的に検証すると本当は昔も今も右には見えないらしい。ちなみに京都から江戸方面に下るときに逆に唯一左に富士山が見える地点が熊谷宿にある。

関連:中山道69次8番 熊谷宿 埼玉県内唯一の戦災都市のためか形跡ほぼなし | 中山道69次
志村清水坂の位置

志村立場跡このへん

段丘崖から清水が湧いていたため徳川吉宗が地蔵坂を清水坂と呼び坂下に立場茶屋があったという。
志村立場跡このへんの位置

蓮根馬頭観音堂

戸田の渡し場道標(嘉永6年)を保管している。「東中山道板橋道北戸田渡しバ道 西大山ねりま道]と彫られている。練馬分岐点にあったものというがどこか調査中。
蓮根馬頭観音堂の位置

中山道戸田の渡しの碑

中山道戸田の渡しの碑の位置

浮世絵描画地このへん

戸田の渡しから戸田方面を見た様子
浮世絵描画地このへんの位置

中山道戸田渡船場跡

蕨宿戸田渡船場跡蕨宿戸田渡船場跡

水神社

創立不明。正面の碑には寛政八年の銘がある。川岸に住む人々の氏神様であろう。
蕨宿水神社
蕨宿水神社蕨宿水神社

 

地蔵堂(戸田市川岸)

みどころは戸田市内最古の木造建築物、享保16年の庚申塔と室町時代の武蔵型青銅板碑。

蕨宿地蔵堂
蕨宿地蔵堂の庚申塔蕨宿地蔵堂の庚申塔

戸田一里塚跡【4】(左右とも痕跡なし)

戸田一里塚跡の位置

戸田一里塚跡(下前)の位置

戸田一里塚から移設された榎と庚申塔

つつじ幼稚園内に戸田一里塚から移されたとされる榎と庚申塔が名残としてあるそうだ。行った日は改装工事中で全面シートに覆われて入ることはもちろん中を覗くこともできなかった。
つつじ幼稚園の位置

歴史の道標識

ここの斜めの道が往年の中山道の面影を残している。標識がこのあたりにあるらしい。

蕨宿歴史の道標識蕨宿歴史の道

蕨宿石塔と下木戸(東口)跡

石塔は新しいもので特に歴史的価値はない。蕨宿東口の木戸跡も門のようなものが復元されていたがここが東の木戸跡というのがわかるようになっているだけでこの門のようなものも価値はないだろう。

蕨宿蕨宿下木戸(東口)跡と石柱蕨宿蕨宿下木戸(東口)跡と石柱

蕨市立歴史民俗資料館 分館

織物の商家を資料館として公開している。主屋は寄棟平屋で蔵はわらび文庫が設置されているらしい。

蕨宿蕨市立歴史民俗資料館 分館

蕨市立歴史民俗資料館

本陣跡が市立の民族資料館となっている。
蕨宿蕨市立歴史民俗資料館
内装の一部を再現してあったり蕨宿のジオラマが展示されている。蕨宿ではちらほら昔の建物が残っているのは戦災の空襲をかろうじて免れたためというのがこの地図を見るとわかる。
蕨宿蕨市立歴史民俗資料館蕨宿蕨市立歴史民俗資料館

蕨宿蕨市立歴史民俗資料館蕨宿蕨市立歴史民俗資料館

蕨宿蕨市立歴史民俗資料館

蕨宿岡田本陣跡

戸田川(荒川)の川止めがあるため2軒の岡田本陣があった。本陣跡地の門構えはそれなりに現代風に再現してある。とても江戸時代とはいえないが多少の趣は感じられるかもしれない。

蕨宿岡田本陣跡

ちなみにもう一軒は道を挟んで斜向かいにあったらしいが名残なし。

蕨城跡(県史跡)

足利市一族の渋川氏が治めていた。現在は和楽備神社と城跡公園。御殿堀が当時のものとして残っている。落城後に夫人は出身地である榛名湖の竜神となった。

たぶんここが御殿堀。

蕨城跡の御殿堀

地蔵の小径

三学院への参道で地蔵の小径と呼ばれており、角の煎餅満寿屋は今も昔も茶屋を営んでいる。時間があったら寄ってみたいところ。

蕨宿地蔵の小径蕨宿地蔵の小径

三学院

創建は中世以前という。みどころは仁王門前に並ぶ子育地蔵、六地蔵、目に味噌が塗られた目疾地蔵(めやみじぞう)。

三学院の六地蔵
三学院の目疾地蔵三学院の子育地蔵

予習はしていなかったが元禄一四年製の常夜灯もあった。

三学院の常夜灯

徳丸家の跳ね橋跡

綿織物業が盛んだった当地では防犯と防火の観点から構え堀を巡らしていた。機織り女工の逃亡を防ぐ目的もあったという。現在ここだけその遺構が残る。

徳丸家の跳ね橋跡

中仙道蕨宿景観建造物

特に説明はないが昔ながらの古い建物を景観に配慮しつつリフォームしている感じ。

蕨宿景観建造物

中山道ふれあい広場

姫道中など描いた壁画がモザイクタイルに描かれている。毎年11月3日には織姫道中と大名行列が宿内を練り歩く祭りがある。

蕨宿ふれあい広場蕨宿ふれあい広場

春日土蔵

土蔵のある家屋が2〜3軒並んでいる。

蕨宿春日土蔵

蕨宿 一六橋

一と六のつく日にこのあたりで市が立ったのでここの橋を一六橋というのだそう。現在は川は半分暗渠になり半分は水は見えるが流れてはおらず淀んでいる。

蕨宿一六橋

中山道蕨宿一番地

蕨宿と辻村の境目にある川で堺橋と呼ばれるようになったという。現在は半分暗渠になっていてすぐ北にもう一つ川が流れていてそちらは別の橋がかかっている。

蕨宿一番地境橋蕨宿一番地境橋

個人的に未踏破な史跡

  • 上記写真のないもの(荒川南岸)

個人的に行ったまたは行っておきたい地点のマップ

地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。

地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。


参考にした資料

上記の他にもみどころいろいろ書かれている。

4784071741
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4784074414
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浦和宿5.2km←|→8.9km板橋宿

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