このページで紹介する宿場は中山道69次の6番桶川宿。
江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡、または残っていないものも紹介しています。
中山道史跡専門のガイドブックのように活用できるよう心がけて編集していますが、特に個人的興味は江戸時代の中山道なので東山道時代または明治期以降の史跡についてはあまり関心を払っておりません。
史跡ポイントの紹介はできるだけ日本橋方面から京都に向かって載せるようにしています。
各宿場の境は中山道69次資料館館長 岸本豊氏の著書を参考に設定しています。異議・異論ある方いらっしゃいましても暖かくスルーしてください。
写真はタップまたはクリックするとすべてとはいえないかもですが拡大表示されるようにしています。
中山道69次の6番桶川宿情報
基本情報
- 本陣:1
- 脇本陣:2
- 旅籠屋:36
- 家数:347
- 鴻巣宿7.9km←|→4.0km上尾宿
- 最寄り駅:高崎線桶川駅0.5km
引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本
本陣位置
高札場位置
本陣斜向かいの島村壱番館ビルあたりにあったらしい。
参考:問屋場跡(上尾~桶川 – 桶川宿) – 旧街道ウォーキング – 人力
駐車場位置
市の中心部あたりにあり上下の史跡をめぐりやすいところに位置する。最初の1時間は無料でその後は1時間あたり100円とリーズナブル。
その他桶川駅前に1日500円の駐車場がある。
周辺の宿泊施設
桶川市のホテル・旅館 – 宿泊予約【じゃらんnet】
楽天トラベル:桶川駅 周辺のホテル・旅館
桶川駅に近いおすすめホテル・旅館 お得に宿泊予約 – [Yahoo!トラベル]
桶川駅周辺 おすすめホテル・旅館・宿 | 宿泊予約【JTB】
各史跡について
できるだけ江戸方面から近い順または見て回りやすい順に掲載しているつもりです。また位置情報は記事下の地図にまとめて入れておくのでご参考ください。
取材日
2023年10月7日 マイカーではなく輪行して自転車のみで廻ったが観光客用の駐車場もあるのがわかった。次回は車で行こうか。
写真とコメント
それぞれの位置情報は記事下の地図を参照してほしい。
感想述べておく
我が地元『熊谷宿』から日本橋寄りなのでだんだんと名所旧跡やら史跡が失われているかと思いきや、なかなか古い建物が現存されていたり古い宿屋が営業していたりと嬉しくなった。
また石標もところどころに整備されていて徒歩で中山道を辿りたいファンにはありがたいだろう。自動車の通りが激しいということを除いて良い街だ。
諏訪神社(雷電社)
「桶川の東南なる雷電山に疑いなし。彼方に見ゆる人煙はこれ桶川の里なるべし」南総里見八犬伝より
旧跡 木戸址
江戸方の宿場入口には木戸址と掘られた石碑が残っている。
鍾馗様 桶川宿藤倉家
上尾宿に行くともっと何体も鍾馗様を町中で見ることができるが、桶川宿ではここ一箇所か。
唐の玄宗皇帝の病を治した実在の人物と言われ魔除けの神として祀られている。
鬼瓦といえば加納宿の今尾家の瓦塀の上に見事な七福神の鬼瓦がある。
武村旅館
明治初期板橋宿の旅籠武村が継ぎ現在も営業している。裏門には桶川宿内田脇本陣の表門を移築している。
島村家住宅とお助け蔵
みどころは裏手に廻ったところにある土蔵とのこと。近代的なビルの谷間にぽつんと古い建物が残っているので一際目を引く効果がある。この建物の裏手にこれまた古い土蔵があるらしいが見損なった。
右隣の建物のさらに右が通路になっていて奥に行けるようになっているようだ。
飢饉のときに穀物と紅花を商っていた島村家が土蔵の建築事業を行って人々に雇用を生み出したのがケインズの一般理論の100年前のできごとだ。
矢部家住宅
桶川宿は竹村旅館といい島村家住宅といい、ところどころに古い建物がきれいに保存されている。この日も複数の徒歩の人が町を散策していた。
小林家住宅主屋
矢部家と小林家は向い合せで建っている。
府川本陣跡
中山道筋で埼玉県内では唯一現存する本陣というのがここ桶川宿の布川本陣ということで中を見たいかと思ったが2つめの門より内側は私有地ということで無断侵入禁止となっている。
桶川宿は日本橋からちょうど1日歩いて宿泊するのにちょうどよい位置というのもあるが、この本陣は加賀前田家、水戸藩徳川斉昭、皇女和宮降嫁の際などが利用したといわれる。
中山道宿場館
桶川宿として観光に来たならここに立ち寄って情報を取り寄せてみたほうがよいようだ。英泉画「桶川」の手摺り体験もできるらしい。
紅花商人寄進の石灯籠一対
平成の道標
中山道桶川宿手洗い処も併設されている。トイレに行きたくなったらとりあえずここの駐車場のトイレは自由に利用できる。その他コンビニも街道沿いに数軒ある。
女郎買地蔵
一体の地蔵の背中に楔くさびがある。若い僧で女郎屋通いをしている者がいると聞きつけた和尚が地蔵の背中に鎹(かすがい)を打ち込み鎖で縛って若僧(の邪念?)を封じ込めたという言い伝えがある。
お地蔵さんはいっぱいあるんだけど別の方向を向いて3体並んだうちの一体の背中に鎹が打ってある。
参考サイト
桶川宿 女郎買い地蔵 – Wikipedia
桶川宿 一里塚跡【10】
一里塚跡の標示のみ。江戸から10番目。
上の木戸址 道標 浮世絵描画地
道標とともに木戸跡の石碑もおいてある。京方の入口だったところ。英泉の浮世絵にある加納天神堂分岐点もここ。
松山以奈り道 道標
京方入口の木戸跡から西南へ道が伸びているがそこの陸橋の下の道、小学校の敷地を借りる形で松山以奈り道の道標が残っている。
もともとは上の木戸の場所にあったが車がぶつかって折れたため小学校の敷地の一部に移された。
東松山市にある箭弓稲荷神社への道を示すもので、多くの参拝者で賑わっていた神社だという。日本橋小田原町の魚市場の人々が箭弓稲荷神社の稲荷講を組織して神社への参拝の目印としてこれを建てた。
魚河岸の人々が建てたので一部に魚の文字を図案化して掘られているのが見どころ。
天神道の道しるべ
加納天神(氷川天満神社)への道しるべの道標がある。
天神道の道しるべの位置
氷川天満神社
別名加納天神。諸病に効くといわれ中山道を旅する途中に寄られたという。みどころは五角形の薬湯の井戸。
氷川天満神社の位置
北本宿碑
旧鴻巣宿のあったところに残った村が本宿村、明治期になって北足立郡内に別の本宿村ができたため区別するためにこちらが北本という地名になったという一説。
中山道が整備される前にここに鴻巣宿があり、中山道が整備されたあとに鴻巣宿が現在の地に移りそれでここは本宿と呼ばれていた。ここから北西800mに高崎線の北本宿駅ができ転じて北本という地名ができたという一説。
多聞寺の無患子(ムクロジ)
東間浅間神社
原馬室一里塚【11】
多氣比賣神社の大椎
平安時代の延喜式にも記されている市内最古の神社
多氣比賣神社の大椎の位置
個人的に未踏破な史跡
- 上記写真のないもの
個人的に行ったまたは行っておきたい地点のマップ
地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。
地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
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中山道浪漫の旅 東編[改訂版]
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中山道浪漫の旅 西編[改訂版]
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宿泊情報
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