このページで紹介する宿場は中山道69次の29番下諏訪宿。
江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡を紹介しています。
ガイドブックのようにどなたでもご活用いただけるよう中山道専門サイトとなるよう常に編集しています。
史跡ポイントの紹介はできるだけ日本橋方面から京都に向かって載せるようにしています。
中山道69次の29番下諏訪宿情報
基本情報
引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本
本陣位置
高札場位置
見損なっていたがある。
無料駐車場位置
諏訪大社秋宮の駐車場が最寄りかもしれない。利用したらちゃんと参拝して賽銭も多めに奉納するようにしよう。
各史跡について
取材日
- 2021年6月5日
- 2023年1月8日
写真とコメント
水戸浪士の墓(浪人塚)
上洛しようとする水戸天狗党と地元藩との間で戦が近くであり6人の墓がある
地図
樋橋茶屋本陣小松家跡
2023年1月7日行った。現在は12軒の集落。ここらへんは中山道がS字に蛇行している。
下諏訪宿に入る前のまだ勾配のきつい坂の途中にある。茶屋本陣というのは宿場にある本陣とは違うが昔は主に偉い人が御休息した茶屋だ。偉い人が利用する茶屋だから茶屋本陣と呼ぶのだろう。ここの樋橋公会所というところの土地あたりに茶屋本陣があったっぽい。
中央奥の建物が現在の樋橋公会所.▼ここらの集落はほとんど相沢さんと小松さんばかり。
この茶屋本陣の付近の旧中山道が妙にくねっているが現在は直線に整備されている。
延命地蔵跡
樋橋茶屋本陣の若者が地蔵を背負って全国を巡った後ここに地蔵堂を建てたが平成16年に地蔵が盗まれその後に地蔵堂も壊し歌碑が建つ。
お地蔵さんぽくなかったが写真写りが良かったのでこれはこれで良い。
樋橋一里塚跡(下諏訪)
ここの一里塚は六協リサイクルセンターという産廃会社の敷地内なのかな?一応工場入口に守衛所がありそこの職員の人に一言断ってから入った。ここまでは車での侵入は不可能で徒歩で200m弱といったところだ。工場入口付近に駐車スペースはある。
現地へ行ったときは気づかなかったがこの樋橋一里塚跡を西から見ていたことになる。したがってぬかるんだ道は中山道ではなく単なる工場敷地の道路である。実際の旧中山道はこのあたりでは完全に工場の敷地内にあり関係者以外は踏み込むことができない。
下社木落し坂
ご存知諏訪大社の名物「男見るなら7年一度諏訪の木落し逆落とし」
2023年1月7日行った。
こちらは下社の木落し坂で旧中山道近くにある。行ったらたまたまボランティアと思しきガイドのおじいさんがいて少し話を聞かせてもらえた。
例年行われる木落しは下社・上社とも8本ずつ落とすという。下社は地図右の方の道のさらに奥の国有林から良さげな木を選び落とすのだとか。さらに上に乗っかる人の選定は神社に対し献身的な働きをした人のなかから優先的に選ぶのだそうだ。
誰でも御神木に跨げるわけではないのだ。
注連掛
寅と申の年の4月山出し5月里引きの1ヶ月間、御柱を位置列に並べ注連縄をかけ休ませるというから滅多に見られないか。
地図
万治の石仏
2.6mの自然石に63cmの仏頭を載せた大日如来像。万治三年と刻まれ、望月宿には万治2年のものが、太田宿には万治3年のものがある。
地図
竜の口
慈雲寺への参道石段入り口。江戸後期に設置旅人の乾きを癒した
地図
下諏訪一里塚跡
土蔵の軒下に碑。下ノ原一里塚ともいう
▼傍らに建っている建物は古い感じなのに一里塚の塚もなにも残っていないのは不思議。ここにかつて一里塚があったのなら建物は古そうに見えて古くはないはず。
伏見屋邸
博物館を兼ねた旧家で博物館を兼ねている。外から見ただけなのでいずれ中にも入ってみなければ。
御作田社
境内に斎田があり早稲が諏訪大社下社に供えられる。
地図
本陣岩波家
明治になり2つに分割され本家は本陣門、客殿、庭園などあり入館料を払えば中を見られる。
2021年6月5日下諏訪宿ではここの本陣しか見られなかったのでここの写真は数枚撮ったがほかはない。駐車場がない。諏訪大社秋宮に停めればよいが少し歩く。
下諏訪宿問屋場跡
甲州道中・中山道合流之地
甲州道中は幕府の軍事的機密の理由から諏訪・高遠・飯田の三大名以外の通行を禁止していたという。道標には「甲州道中江戸五十三里十一丁 中山道江戸五十五里七丁」と彫られる。1716年に甲州海道から正式名甲州道中になった。
2023年1月7日行った。
特になにがあるというわけでもないが、ここまでが甲州街道ということになり、逆に甲州街道を東へ進めば新宿へ行けてしまうわけだ。
ちなみに甲州街道はここ下諏訪で中山道と合流し、名前はなくなるが中央本線はそのまま中央本線として残り名古屋まで続いている。しかし中山道を通る鉄道はなく中央本線とか呼ばれたり、時には東海道本線と呼ばれたり、また上越線、高崎線などと名を変えて東京から京都まで乗り継ぐ。
御宿まるや
元脇本陣。
地図
高札場跡
2023年1月7日行った。
かなりわかりやすいところにある。諏訪大社の下社の表参道沿いにあり、中山道との分岐点にある。諏訪大社の表参道のほうが大きい道になっているがその脇の細い裏道みたいなのが本来の街道だったのだ。
魁塚(相楽塚)
諏訪大社 下社春宮 大門(一の鳥居)
大石灯籠
旧渡辺家住宅
高島藩の散居武士であった渡辺家の住居は江戸中期のもの。内部公開している。
地図
伊那街道道標
「右中仙道/左いなミち」の碑。伊那谷から三河国まで続いていた。ここらは自動車交通が多くちょっと停車できる場所がない。
富部一里塚跡
東堀一里塚跡
碑のみ。当時の中山道はこの一里塚跡より少し北を通っていたらしいことが「分間延絵図」を見るとわかるらしい。
石灯籠
今井番所跡
もともとは今井という地にあるらしく今井茶屋本陣という名前かと思ったらここらあたりの人家は今井さんだらけだった。おそらく今井さんという有力者が昔いて今井という地名にしたのか、逆に今井という地名の場所に来た有力者が今井さんと地名と同じ名を名乗ったのかどちらかだろう。
今は今井という地名は少し東南にある。
御小休本陣今井家
薬医門を備え主屋は江戸中期に建てた本棟造り。塩尻地方と類似のすずめ踊りがみどころ。
中山道碑(今井)
石船観音の鳴沢清水
名水で和宮や明治天皇も飲まれたという。
地図
個人的に未踏破な史跡
- 上記写真のないもの
マイマップ
地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。
地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
参考にした書籍中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
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上記の著者 岸本豊氏の運営する中山道69次資料館についての記事も別ブログで書いているのでご興味があればどうぞ。
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