このページで紹介する宿場は中山道69次の35番藪原宿。
江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡を紹介しています。
ガイドブックのようにどなたでもご活用いただけるよう中山道専門サイトとなっています。
中山道69次の35番藪原宿情報
基本情報
引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本
本陣位置
高札場位置
無料駐車場位置
街道沿いにはこれといってないが近くに水の始発駅公園というのがあるからそこなら心置きなく停められると思う。
各史跡について
取材日
2023年4月22日初めて訪れた。過去に何度も素通りしていたがちゃんと下調べして訪れたのはこの日が初めてになる。特にノーマークだったがどうしてどうして。
見どころいろいろ残ってるし、旧中山道には車の往来がほとんどないからゆっくりと散策を楽しめる。いいところでまた行ってもいいなと思うし、なんなら宿泊して拠点にしてもいいとさえ思う。意外だった。
写真とコメント
それぞれの位置情報は記事下の地図を参照してほしい。
藪原殿屋敷跡
鳥居峠 御嶽神社
義仲硯水(浮世絵描画地)
木曽義仲がここの水を使って戦勝祈願書を認めたと言われる御岳手水がある。ここからの眺めを永泉が描いたとされる。
義仲硯水(浮世絵描画地)の位置
石畳道分岐
鳥居峠の南口にあたり、一応江戸方から見て藪原宿の入り口でもある場所なので行ってみたが石に刻まれた文字がよく読めずなんの分岐なのかよくわからない。石碑はある。
鳥居峠入り口と藪原宿への道
左)藪原宿から鳥居峠へと入る道。右)鳥居峠から降りて藪原宿へと続く道。
原町清水
町中でところどころ湧き水がでているがここもその一つで昔からあったと思われる。
尾州御鷹匠役所跡
尾張藩が鷹狩用の鷹を飼育していた場所で鷹匠と役人を派遣していたという説明板がある。高台になっていてそこそこ眺めが良い場所。
飛騨街道追分標柱
中山道はここの地点を中心に東北から西南へつづいており、飛騨街道はたぶん西北へ伸びているんだと思う。
葛沢(クッサワ)の大橋跡
看板があって気づいたが大橋跡というにはかなり小さな橋が現在でも架かっている。流れているのはこれまたかなりの清水。
おそらく藪原というとことは鳥居峠からの湧き水が豊富にでるところなのではあるまいか。
寺島家本陣跡
和宮も泊まった歴史があるが現在は標柱のみで、かつては中央西線の線路よりさらに奥まで敷地があったようだ。間口は26mで、その奥行21間というから1.8m/間とするとざっと37.8mあった。
旅籠米屋
平生23年まで旅館として営業していたが廃業したようで惜しい。は蜀山人や飛騨の女工たちの名前が宿帳に記されていた歴史を感じられる宿ということ。
期待どうりの外観で旧旅籠の面影をよくとどめている。何枚か写真を撮ってから、宿に入る。残念ながら、古い建物の方は空いていないとのことで新しい方に通されるが、8畳の二間続きで新しくてきれいで、ちょっとぜいたくな感じ。
引用:<古を訪ねる旅>旅籠宿泊記②米屋
極楽寺
観音堂にお六を祀っている。お六は妻籠宿の娘であるがミネバリ製の櫛で自分の頭痛持ちが治ったということで櫛を広め、ミネバリの産地である藪原宿は櫛の産地としても栄え、その功労を称えて祀らてている。
極楽寺の位置
防火高塀跡
元禄の大火の後に各家が土地を提供しあって2箇所の広小路を造ったのとともに、さらに後に延焼を防ぐ高塀を造った。その名残がここに残る。かつての防火高塀が残っている場所に現代の消防施設があるのが面白い。
山六篠原商店
過去には旅籠より櫛師と櫛章の数が断然多く手工業の町であったが現在はここのほか数軒のみになる。頭痛に効くという伝説のお六櫛を売っているお店。この藪原宿で取れるミネバリの木で作った櫛。
高札場跡
商店街の南のはずれの分岐にあり、中山道はここから直進ではなく右へ逸れるほうの道である。急カーブが2回続いているがここが枡形ではなさそう。
枡形
派出所前の道が枡形になっていて堂々と派出所の前に路駐してしまったが1分2分なので勘弁してもらいたい。ゆるやかな逆S字の枡形が残っている。
藪原一里塚跡
機関車の展示のすぐ横。このあたりの地名は字一里塚と名が残るらしいんだがGoogleマップでみてもちょっとわからない。
吉田一里塚跡
東西とも塚は開発で崩され地元小学生の筆跡の石碑のみ残る。旧中山道ではあるが現在は国道19号線としてトラックがバンバン走るところの沿いに石碑が残っている。石碑のすぐ向かい(道路の東側)に空き地があるので一次駐車には困らないが道を渡って一里塚碑のところへ行くのは注意しよう。
権兵衛街道分岐点
この分岐を伊那の方へ進みしばらく行くと石碑があり「伊那谷と木曽谷の交流は古くから 姥神・鍋掛(権兵衛)両峠越えでなされていたが、 道せまく極めて難路であった。 一六九六年(元禄九年)我が祖古畑権兵衛らによって 道路の改修がなされ、以来権兵衛街道と呼ばれ、 その交易は一段と盛んになった。」のように刻まれている。
権兵衛街道分岐点の位置
巴淵
渓谷に棲む竜神が巴御前となって木曽義仲を守ったという伝説があり、「山吹も巴もいでて田うへかな」という句碑がある。山吹は近くの山吹山の名のもとになった山吹御前のことで、山吹も巴も義仲の愛妾。水の流れが巴状に流れるので巴淵と呼ばれるようになったという説もある。
街を彩るツバメ型の屋号看板
個人的に未踏破な史跡
- 上記写真のないもの
マイマップ
地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。
地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。
気になる史跡が青、無料駐車場が黄色P、宿泊施設がオレンジベッド、道の途切れが赤い銃のマークでそれぞれ載せてある。鋭意更新中。
動画もあり
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
参考にした書籍中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
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上記の著者 岸本豊氏の運営する中山道69次資料館についての記事も別ブログで書いているのでご興味があればどうぞ。
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