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近江八幡を代表する日牟禮八幡宮と近くの観光スポット八幡堀について

日牟禮八幡宮 周辺観光

Wikipediaの内容をざっくり要約すると以下のようになります。

八幡は滋賀県近江八幡市の旧市街に位置し、八幡堀や日牟礼八幡宮、商家町としての歴史的建造物が多数残る地域です。このエリアは1991年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、歴史的な町並みが保全されています。八幡の名前は日牟礼八幡宮に由来し、昭和29年(1954年)まで蒲生郡八幡町に属していました。

羽柴秀次が1585年に八幡山に八幡城を築き、その城下町として八幡が発展を始めました。八幡堀は琵琶湖につながる運河として利用され、地域の商業と交通の要衝としての役割を果たしました。東海道や中山道、北国街道の交差点であることから、八幡は商業都市として発展し、近江商人の起源ともなりました。八幡城は秀次の失脚により築城後わずか10年で廃城となりましたが、その後も八幡は琵琶湖港町の一つとして栄え、商業活動が活発に行われました。

江戸時代には株仲間制度のもとでさらに商業が発展し、八幡出身の商人たちは全国に広がり、流通業や金融業にも進出しました。特に八幡御三家と呼ばれる西川甚五郎、西川庄六、森五郎兵衛はその代表例です。明治以降、八幡の商人たちは活動拠点を他の地域へ移しましたが、八幡の旧市街には今も商家や町家、土蔵といった近世建築が残されています。

また、近代には建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが八幡に拠点を置き、建設業や製薬業を通じて地域に大きな貢献をしました。彼の設計した近代建築も八幡の町並みの一部として今に残されています。このように、八幡は歴史的建造物と近代的な発展が共存する、文化的に豊かな地域となっています。

つまりさらに要約すると倉敷の美観地区のような伝統的建造物が今も残っており、見て歩くには気持ちの良い場所であるということ。ただ中山道武佐宿からは数km離れており中山道69次の発展とともに栄えたというわけでもなさそうです。

武佐宿から西北へ数キロに伝統的建造物が残る八幡堀

日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)

近江八幡市にある神社であるが、近江八幡神社というのがあるのかと思っていたが、そういう神社はない。

この日牟禮八幡宮が近江八幡市の市名の由来となった神社である。創建は西暦でいうと131年というから伝統がすごい。

日牟禮八幡宮

▼境内には馬の像が祀られており、てっきり望月の駒がこのあたりまで来て出迎えた地であることに因んでいるのかと思ったがそうではなさそう。実際に望月の駒を出迎えるのは大津宿。

日牟禮八幡宮

八幡堀

関西特有のベンガラ塗料と思われる色がここらあたりはふんだんに見られる。ベンガラとは塗料に酸化鉄を混ぜ込んで色を出したものでおそらく耐食性とか考慮してあるのではないか。ちなみにベンガラはオランダ語だが漢字を当てると弁柄でもともとの出どころはインドのベンガル地方。

「着色力や隠蔽力が大きく、耐熱性、耐水性、耐光性・耐酸性、耐アルカリ性のいずれにも優れており、安価なうえ無毒で人体にも安全なため非常に用途は多い – Wikipediaより」とのこと。

八幡堀

▼堀は昔、豊臣秀吉のころだか交易を円滑するために人工的に造ったものだとか。それが今でも金を生んでいるわけでこうしてはるばる埼玉県から見に行って写真をパチパチ撮る人も後を絶たない。

八幡堀

八幡堀

八幡堀

八幡堀

八幡堀

八幡堀

八幡堀

なぜか岸から左を向いて撮った写真が自分でも良かったのでここにそんなんばかり貼っている。

八幡堀の周辺にはおしゃれなカフェなど飲食店は数軒あり、ちょっと休んでお茶することはもちろんできる。っていうかそうやってお金を落としてもらわないと意味ないから。

あと写真は撮っていないが近江兄弟社も八幡堀のすぐそばにある。ちなみに近江兄弟社といっても兄弟で創業したわけではない。キリスト教の教えに則った兄弟という意味らしい。

場所

車で行った場合には日牟禮八幡宮の境内に無料駐車場があるので停められると思われる。また日曜祝日などで万一駐車場が混んでいる場合にはすぐご近所の会社シキボウさんの駐車場が操業日でなければ停めても良さそうなことが書いてある。

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