このページで紹介するのは中山道69次の46番大井宿。
江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡、または残っていないものも紹介しています。
中山道史跡専門のガイドブックのように活用できるよう心がけて編集していますが、特に個人的興味は江戸時代の中山道なので東山道時代または明治期以降の史跡についてはあまり関心を払っておりません。
史跡ポイントの紹介はできるだけ日本橋方面から京都に向かって載せるようにしています。
各宿場の境は中山道69次資料館館長 岸本豊氏の著書を参考に設定しています。異議・異論ある方いらっしゃいましても暖かくスルーしてください。
写真はタップまたはクリックするとすべてとはいえないかもですが拡大表示されるようにしています。
中山道69次の46番大井宿情報
基本情報
引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本
本陣位置
高札場位置
無料駐車場位置
無料駐車場はほぼ無いと見る。
▼ひし屋資料館を使うとき提携のここを使わせてもらったが、そのままほかも見物して回ってしまった。厳密にはNGなのかもしれないが臨機応変に利用したいところではある。
各史跡について
取材日
- 2022年12月10日~11日
- 2024年5月4日
- 2024年11月28日
写真とコメント
新旧折衷できれいな街並み
坂本立場からさらに京方面隣の大井宿方面へ進むとある。余談であるが坂本立場跡からここ茄子川村の高札場跡へ続く道の両側が一時高級住宅街のような雰囲気だった。ちょっと住みたいなって思う。
茄子川村の高札場跡
尾州白木改番所跡
尾州白木改番所跡というのは複数ある。
茄子川村小休所跡
庄屋篠原家が営んでいた大名のための休憩所で明治天皇もここで行幸のときにご休憩したという碑もある。このような施設は全国に多数あり(っていうか今のところ中山道しか知らんけど)、明治政府が明治天皇を神格化するべく行った先々に記念碑を建てて回ったことによるとのこと。
*秋葉大権現常夜燈
ちなみに遠州秋葉神社までの道程を調べてみたら徒歩で28時間というから3日〜4日といったところだろうか。
岡瀬沢永代燈
能書きに書かれていることを以下に要約しておく。
この永代燈は「岡瀬澤大組」が中山道と野道の分岐点に建立したもので、野道は岡瀬澤から東野へ向かう古道です。この道は秋葉神社への参詣道として使われ、灯籠には「ひだりあきばみち」と刻まれています。また村人の物資輸送路「うしみち」としても利用され、頭部と火袋以外は自然石を用いた素朴な造りが特徴です。
甚平坂の犬塚 馬塚
信濃の豪族根津甚平が狩りの途中でここで犬や馬とともに倒れた伝承による。犬塚は見つかったが馬塚はわからなかった。
関戸一里塚跡【87】
開梱で崩されたが南塚に碑が立ち、2002年には榎が植えられた。
高札場
駐車場が近くになくうろうろしたが、旧中山道に沿って歩けばすんなり見つかるし、(復元だろうが)堂々と残っている。
本陣跡
本陣周りも雰囲気が多少残っている。枡形が6箇所あるという説明板がある。地面のアスファルトに色付けが施してあるのでわかりやすい。
下街道(善光寺道)と結ぶ。
恵那私立中山道ひし屋資料館
豪商で庄屋でもあった古山家の屋号「ひし屋」が昔の町家を体験してもらう施設として恵那市が管理している。
ここのビデオを見てだったか知ったのは現在の地方の郵便局は昔の庄屋や問屋などの豪商が伝馬などの業務をやっていたので明治維新のときにそのまま郵便事業として引き継いで今に至っているということ。
言われてみれば納得なんだが意識したことがなかった。つまり地方の郵便局長は由緒ある古い家柄の人だってこと。
脇本陣高木家跡 大井宿下問屋場跡
上問屋は本町上にあるらしい。こちらは下問屋跡。
大井城跡
移築長屋門と明治天皇行在所
本陣北にあった門が別のところに移築され最終的にここに移築したものという感じで何度聞いても意味がよくわからないが作りは立派。説明してくれたおじさんが細かくいろいろ教えてくれて鋲の頭が猪目になってるとか言われないと気づかない。
さすが天皇陛下がご宿泊されるということで玄関も新規に造ったということ。しかも天皇変化専用なので一回使われたっきりであとは開かずの玄関だったということで現在は外から見ると暖簾で隠れている。「見せておいて現在は使われていないということを外からわかるようにしておいたほうが観光客の興味を引くんじゃないんですか」と言ってみた。
明治天皇陛下の肖像の掛け軸が飾ってあること。御簾の装飾もちゃんと菊の御紋だということ。
天皇陛下が入浴されるのに釜で煮るわけにはいかずいちいち手汲みでお湯を注いでいたお風呂だったということ。しかもわざわざ新規に造ったらしいこと。庭の2基の灯籠はそれぞれ石の材質が違うこと。奥は削り出し、手前は焼いて造ったとか言ってた。
ここの学芸員(?)のおじさんはいろいろ細かく教えてくださった。暇だったからというのもあるかと思うが、自分の郷土の歴史に誇りを持ってるということがひしひしと伝わって来る。
旅館いち川
超でかい旅館で旧屋号は旅籠角屋。写真左が駐車場を除いた左端で写真右が右の端だと思うが、左端はもっとあったかもしれない。
白木番所跡
跡地に標識があるのみで名残はない。
中山道広重美術館
中山道沿いに住んでいた実業家田中春雄が自らの浮世絵コレクションをすべて恵那市に寄贈して平成13年に開館した。世界に9点しか存在しないと言われている幻の作品「雨の中津川」もここに所蔵されているという。
毎年9月にだけ全作品を展示し、それ以外の期間は劣化防止のためイミテーションを展示している。
できれば9月の水曜日か金曜日に訪れたいところ。
ひし屋資料館提携の無料駐車場からは少々距離があるので、中山道広重美術館のすぐとなりにある提携駐車場を利用しても良い。美術館利用者は90分間無料でそれ以外でも30分70円という安さ(2022年時点)だからここに駐車して回ってもよいかも。
展示品は撮影禁止だったので浮世絵体験の自作品と無料の時間帯があるので都合が合えばここを狙うのがよい。無料時間外だったので大人820円だったか払う。
浮世絵の作り方や歌川広重の生涯やらが中身が濃くて浮世絵体験でのめり込むと90分なんてすぐたってしまうほど。
本酒屋 中野村庄屋の家と防水壁跡
中山道への石の防水壁が残っている。肌色の石に溝がくり抜かれていてそこに防水版を差し込んで街への水の浸入を防いだとのこと。
また隣の建物も含めて和宮降嫁時の負担を巡って百姓熊崎新三郎が岩村藩の代官へ切りつけた事件の現場にもなっている。
高札場跡と常夜灯
常夜灯はわかりやすすぎるぐらいの場所にあったが高札場はミラーボールの後ろにひっそりと標識が残っていたのみ。
十三峠入り口
大井宿から大湫宿への通路となる道に十三峠が立ちはだかっている。ここからしばらくは軽自動車程度なら進めたが普通車ではちょっと微妙かと思う。少なくともすれ違いは不可能。
槙ケ根一里塚(県史跡)【88】
十三峠入り口から石畳で整備された道を軽自動車で果敢に進んでいくとやがて開けたところに出、槙ケ根一里塚が現れる。
ここらあたりが中山道の上街道と伊勢参宮堂の下街道との分岐点になり何軒か立場茶屋もあり賑わっていたという。
現在は細い道でひっそりとしていて夜は一人で通るのはちょっと怖いくらい寂しいところとなっている。
大井宿茶屋槙本屋跡標柱
槙ケ根一里塚から京方面へ進んで2度クランク型を曲がって進むとひっそりと道端に標柱が残っている。よくよく見ながら進まないと自動車では見過ごしやすい。
ここにおそらく槙本屋という茶屋があったのだろう。
槇ヶ根追分道標
伊勢参宮堂との分岐点
地図
*槇ヶ根立場跡
かつては9軒ほど立場茶屋があり賑わっていたという。
地図
祝坂の馬頭観音
*姫御殿跡
和宮降嫁時には仮御殿が建てられた。
地図
首なし地蔵
みだれ坂 (みだれ橋)
あまりの急坂に大名行列も乱れるということから乱れ坂にかる乱橋という名がつく現役の土橋。
地図
うつ木原坂
このあたりの旧中山道がわかりやすいように舗装路に色付けされている。このへんから隣の大湫宿に向かって緩やかな峠、十三峠である。
竹折高札場跡
個人的に未踏破な史跡
- 上記写真のないもの
マイマップ
地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。
地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
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大湫宿~大井宿を歩く 中山道十三峠越え|編集部員が行ってきました! | トレたび – 鉄道・旅行情報サイト
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