このページで紹介する宿場は中山道69次の24番八幡宿。
江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡を紹介しています。
ガイドブックのようにどなたでもご活用いただけるよう中山道専門サイトとなるよう常に編集しています。
史跡ポイントの紹介はできるだけ日本橋方面から京都に向かって載せるようにしています。
中山道69次の24番八幡宿情報
基本情報
引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本
本陣位置
高札場位置
不明
無料駐車場位置
特になし
各史跡について
取材日
- 2021年6月5日
- 2023年1月7日
- 2024年5月3日
写真とコメント
家からそれほど遠い宿場ではないせいか、あまり真面目に見ていなかった。
あとから調べてみるといくつか史跡があり見どころがちゃんとある。
八幡神社の大欅と東口
壬戌紀行「八幡宮あり。これにて八幡といふなるべし」とある。神社入口に大欅。
八幡宿の名前の由来となった神社。東口(江戸口)跡は特に標示らしきものはないがここのすぐ東のバス停付近と見られる。
高良社
杮葺の旧本殿で高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)を祀る国重要文化財。朝線から渡来した高麗人によって指導され望月牧が拓かれたことによりここに祀られるという一説あり。
地図
脇本陣4-1 大坂屋弥八郎家跡
奥へ引いて表門が街道沿いに名残る。
地図
本陣 小松家
和宮降嫁の宿泊地であった。本陣門は残る。
高札場跡
脇本陣4-2 依田太郎兵衛家跡
表門と問屋場跡が街道沿いに残る。
地図
脇本陣跡4-3 大阪屋
ここの並びに脇本陣依田家と大阪屋とあったようなんだが立派な門はおそらく大坂屋。
富岡街道分岐点
内山峠ー富岡を経由し本庄宿で再び合流していた。幕末には水戸天狗党が富岡街道からこの地を経由して中山道を京へ進軍したという。
←右奥が富岡街道、左右の道が中山道。→富岡街道側から見た追分。左右が中山道だ。
←分岐点から江戸方面を見た景色。ここは八幡神社までまっすぐに道が通っている。→分岐点から京方面を見た景色。だんだん緩やかな登り坂になって起伏を経て瓜生坂につながっていく。
西口(京口)跡
五郎兵衛用水八幡富岡街道沿い御制札跡
かなり際どい道を行ったらあった。五郎兵衛用水はお上の費用でできたものなので堰筋の支障になるようなことはしてはならないというお達しが書かれていたらしい。
さすが信濃を代表する米の産地だけに厳しい規制もあったのかも。
中山道 浮世絵 八幡
百沢集落
少々古い町並みが残る。
祝言道祖神
みどころは男神は衣冠束帯、女神は十二単という宮廷装束で中山道の道祖神のなかでもっとも精巧な彫りといわれる。
中山道標柱
「右中仙道 左布施谷 元禄十丁丑年」と刻まれる。中山道と統一された1716年よりも前のもの。舗装路から獣道のような旧中山道への分岐に標柱がある。夏は草深すぎて通りたくない。
中山道・望月城跡の案内板と地図
瓜生坂一里塚
北塚は明治時代に中山道国道化に伴い崩され、南塚は戦後の開墾で上部が削られているという。江戸時代の中山道より5m切り下げられており、当時の碑などがある
個人的に未踏破な史跡
上記写真のないもの
マイマップ
地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。
地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
参考にした書籍中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
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上記の著者 岸本豊氏の運営する中山道69次資料館についての記事も別ブログで書いているのでご興味があればどうぞ。
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