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中山道69次27番長久保宿 ところどころに古い町並みが残っている穴場

宿場

このページで紹介する宿場は中山道69次の27番長久保宿。

江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡、または残っていないものも紹介しています。

中山道史跡専門のガイドブックのように活用できるよう心がけて編集していますが、特に個人的興味は江戸時代の中山道なので東山道時代または明治期以降の史跡についてはあまり関心を払っておりません。

史跡ポイントの紹介はできるだけ日本橋方面から京都に向かって載せるようにしています。

各宿場の境は中山道69次資料館館長 岸本豊氏の著書を参考に設定しています。異議・異論ある方いらっしゃいましても暖かくスルーしてください。

写真はタップまたはクリックするとすべてとはいえないかもですが拡大表示されるようにしています。

中山道69次の27番長久保宿情報

基本情報

  • 本陣:1
  • 脇本陣:1
  • 旅籠屋:43
  • 家数:187
  • 和田宿7.8km←|→5.3km芦田宿

引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本

本陣位置

高札場位置

本陣位置と同じ

無料駐車場位置

長久保宿観光客用の公式ではないかもしれないが、自治体の公共施設ということで大丈夫なのではないだろうか。


▼もう一箇所、ここは明治初期に開業しようとしたものの時代の激変期で開業に至らなかった旅籠。現在は資料館兼休憩所として公開しているので駐車可ではないだろうか。

各史跡について

取材日

  • 2021年6月5日奈良井宿からの戻りがてら寄った。
  • 2022年5月6日行った
  • 2023年8月26日
  • 2024年12月28日 雪が降っていた

写真とコメント

松尾神社

昭和になってからこの地へ移されたので中山道が参道になっており、神社境内を中山道が突っ切るように通っている。

長久保宿松尾神社長久保宿松尾神社

長久保宿松尾神社長久保宿松尾神社

吾一(小池家)

資料館として無料開放してくれている旧家が吾一庵(小池家)だ。昔の生活がわかる資料を無料で展示して管理してくれているので脱帽だ。

長久保宿吾一庵(小池家)長久保宿吾一庵(小池家)

長久保宿吾一庵(小池家)長久保宿吾一庵(小池家)

一福処浜屋

明治初期になって旅籠として建てられたが旧中山道の往来が極端に減ったため開業にはいたらなかったらしい。1階より2階の床が張り出している出梁造りが特徴で、山間部の旅籠建築に多く見られる手法である。後に持ち主である福永家・黒澤家が長和町に寄付をして現在は無料休憩所および宿場関連の資料展示場になっている。

隣に空き地があり無料駐車場として利用できるはず。

長久保宿一福処濱屋長久保宿一福処濱屋

本陣・石合家

中山道最古の本陣建築を留めるが一般人家屋なので中は見られない。外から見るのみ。石合家に真田幸村の長女すへが嫁いだ家。幸村から娘婿への手紙も所蔵するらしい。

中山道69次27番長久保宿中山道69次27番長久保宿

高札場跡

いかにも再建ぽく綺麗な高札場だがいずれ年月とともに味がでるだろう。

長久保宿高札場

旧中山道を自動車で走っていると嫌でもこの大きな高札が目に入る。もうこれだけでお腹いっぱいになるほど。

脇本陣跡

今は普通の家になっているが庵看板だけある。

長久保宿脇本陣跡

釜鳴屋(竹内家)

竹内家は江戸時代初期から酒造業と醤油醸造を営み、長久保宿の役職も務めていた。明治45年時点で1500坪の敷地に母屋と蔵・納屋を含む14棟、総建坪491坪の建物があった。母屋は本うだつを持つ切妻造で、土間やお勝手には太い柱と梁組による壮大な空間が特徴的。1749年以前の建築と推定され、長野県最古の町家建築とされている。笠取峠立場絵図や長久保宿場札の版木なども町文化財として保存されている。

長久保宿竹内家住宅(釜鳴屋)長久保宿竹内家住宅(釜鳴屋)

長久保宿問屋(小林家)

継立業務を本陣と分担していた。主屋は明治3年に焼失したあとの建築。

ここも一度目には見損なっていたが行った。場所は高札場の向かいあたり。

長久保宿問屋

善光寺道道標

一箇所に道標というか石標というかが4つある。古い道標は一部欠損で「左方ぜ」しか読めないらしいがそもそもどれ?って感じであるがなんとなくこれかなというのは察しがつく。新しいものは「左ぜんこうじ」が読み取れすぎる。ここから善光寺までは徒歩で約55km。
長久保宿善光寺道標長久保宿善光寺道標

長久保宿善光寺道標長久保宿善光寺道標

旅籠 辰野屋(竹重家)

間口11間、板屋根の大旅籠であったが現在は瓦に変わっている。「長久保良いとこ板屋根造り、瓦ないから来ておくれ」と長久保甚句に歌われる。

▼ここも2度めの訪問でちゃんと確認した。

長久保宿旅籠辰野屋(竹重家)長久保宿旅籠辰野屋(竹重家)

長久保宿旅籠辰野屋(竹重家)

西の桝形

▼再訪問で確認した。手前から正面右手へ続くのが枡形。

長久保宿西の枡形

四泊一里塚跡

長久保宿からはちょっと離れていて和田宿との中間地点ぐらいにある。寛永8年(1631年)に長久保宿が流された洪水で流失したというから江戸も初期になくなっていたと考えられる。現在は標識で跡を偲ぶのみ。

長久保宿四泊一里塚

浮世絵 長久保描画地このへん

大門街道分岐点でもあり、橋の左が分岐点になっていて直進を進むと大門峠を通って白樺湖。

橋そのものは当然むかしと違うものだがかなり浮世絵に近い雰囲気で撮影できたっぽい。

浮世絵「長久保宿」比定地

落合の岩

「藤波の記」にも記されている和田橋そばの巨大な岩。

長久保宿落合の岩長久保宿落合の岩

水明の里 中仙道の碑

国道142号の青原交差点から旧中山道に分岐したところすぐにあったなにやら史跡。ここから和田宿ですよという意味で設置してあるような。

中山道69次28番和田宿中山道69次28番和田宿

中山道69次28番和田宿

常夜灯

実際にはほとんど和田宿に入っているといってもいいような場所にある。

長久保宿常夜灯

下和田立場跡

門のみ残す。

長久保宿下和田立場跡

蚯蚓神社(みみずじんじゃ)

2024年5月3日行って下和田立場跡の撮影をしようとしていたら通りかかったお婆さんが山の中腹(といっても少し登るだけだが)に蚯蚓神社というミミズを祀っている神社があるから「見ておいで」と教えくれた。せっかく教えてくださったので藪をかき分け見てみた。

確かにミミズを祀ってあり大変めずらしい。個人的にはあまり興味がないので引用だけ貼っておく。

大昔、大雨が続き、奥にある北沢山から大水が出て長さ一尺(約30cm)の大ミミズが群をなして死んでしまい、住民が不思議に思っていたところ、コレラや腸チフスが発生し大変なさわぎになり、誰もが「ミミズのたたりだ」と思い、お堂を建てミミズを「蚯蚓大権現」として祀った
引用:上小ふしぎ発見!?(その3)~御神体はミミズ!? | じょうしょう気流

写真は加工しているが実際にはこんなにおどろおどろしくないので大丈夫。かなり質素な作りのお社だ。御神体というかオブジェというか片隅にミミズの置物もある。

長久保宿蚯蚓神社長久保宿蚯蚓神社

若宮八幡神社

境内には和田城主大井信定父子と矢ヶ崎城代羽田幸清の墓がある。羽田氏は羽田孜の祖先。
長久保宿若宮八幡宮長久保宿若宮八幡宮

芹沢一里塚跡(江戸より49里)

南塚跡に石碑のみ。

和田宿芹沢一里塚碑

感想述べておく

2度目の訪問でほぼ主だった史跡は訪ねられた。

ちゃんと見るとそれなりにいろいろ見つかって面白い。奈良井宿や妻籠・馬籠ほどではないがそこそこ昔の風情が残っている街並みでこれからも維持されることを願う。

マイマップ

地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。

地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。


参考にした資料

上記の他にもみどころいろいろ書かれている。

4784071741
中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)

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和田宿7.8km←|→5.3km芦田宿

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