このページで紹介する宿場は中山道69次の45番中津川宿。
江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡を紹介しています。
ガイドブックのようにどなたでもご活用いただけるよう中山道専門サイトとなっています。
中山道69次の45番中津川宿情報
基本情報
引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本
本陣位置
高札場位置
成田不動尊と同じ場所。
無料駐車場
やや京都寄りではあるがほぼ宿場内はここから何分か歩けば両端見て回れるはず。
周辺の宿泊施設
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各史跡について
取材日
- 2021年8月11日、会社がお盆休みだったのを利用して車中泊しつつ2泊3日ででかけた。1泊目は道の駅奈良井木曽の大橋に泊まり、早朝から妻籠宿、馬籠宿と見て回った。絵葉書を印刷する都合上やや都会である中津川まで来てそのついでに中津川宿も見て回った。2021年8月の訪問では家からもっとも遠くまで来たのがここ中津川宿である。ここから先には現時点ではまだ行っていないがおそらく木曽路がおわりもっと都会になるのでここらへんほど宿場の雰囲気は残っていないのではないかと勝手に想像する。
- 2022年8月12~14日で行った。
- 2022年12月10日 信州周遊の高速道路料金が割引になる情報を得て二泊三日の泊りがけで行った。1日目は大井宿と中津川宿の中間地を見てOnn中津川に宿泊し、2日目は大井宿の奥へ踏み込んだ後に道の駅大桑で仮眠した。
写真とメモ
地図は記事下のほうにまとめ地図を載せておく。
*茶屋坂
段丘崖の急坂に茶屋があった。
地図
高札場
もう少し北にあったらしいが南へ復元したもの。ここから西南方向に旧中山道が通っているが反対側の枡形までは奈良井宿ほどではないにしてもなかなか距離がある。700mぐらいあるかなあ。
すや 本店
*桂小五郎隠れ家跡 やけ山
説明板あり
地図
*間家大正の蔵
東濃一の豪商十八屋が大正時代に建てた蔵が公開されている。赤穂浪士の間(はざま)某も同族らしい。
地図
*中津川宿往来庭
時代劇のセットのように江戸時代中津川宿の特徴ある建物の復元が並ぶ。
地図
中津川市中山道歴史資料館
高札場から本陣のある中心街までの前半、淀川町、新町などは現代風の商店街となっているが昔からここらは商家を中心とする町並みだったよう。
一方、さらに京都方面へ進んだ本町、横町、下町はは旅籠・馬宿・茶屋そして本陣・脇本陣があったのでその名残がおおいに残っている。
コロナ禍で平日だったため人ではまばらだったが、旧中山道という遺産が現代まで商店街・食べ物やとして名残を残していて歴史の面白さがある。
▼明治天皇中津川行在所跡(脇本陣上段の間と土蔵)があるのがここ右手の道を少し行ったところ。
*中津川宿本陣跡
広い敷地は現在は駐車場。和宮降嫁の翌年この本陣で長州藩が中津川会議を開き桂小五郎の説得により長州藩は尊王攘夷へ転換し、日本史の転換点ともなった場所。
▼観光客用無料駐車場はほかにある。5軒続きの長屋になっていて門、問屋場、馬屋、玄関、荷置き場などあった。標識に細かく書かれているので興味があれば行って読んで見るべし。
*脇本陣跡
内部を見られる。
地図
*村庄屋跡
庄屋肥田家は旅籠田丸屋を経営して明治後期からは曽我医院となる。庄屋というのは名主と呼んだりもするいわば村長ですな。昔から金持ちが皆の代表者になるもので、代表者だから家が大きくなるのか家が大きいから村長になるのかは不明。庄屋は岐阜県以西の呼称で、関東では名主。長野県は混在。
中津川用水の説明版
枡形
卯建のある家並みでカクンと曲がっている道だからてっきり枡形だと思って撮ったがあとで地図を見ると中津川宿ってこのあと京都側へかなり長い。でも枡形だな。
川上屋 本店
中津川は栗きんとん発祥の地で、ここのほかに新町には酢屋から転業した「すや」が有名。
この枡形の途中に高級和菓子屋さんの川上屋本店があるがそこで買った本物の「栗きんとん」がこちら。
「栗きんとんてペーストに泳いでる奴しか知らない」と軽口を言ったらお店のちょっと小綺麗なお姉さんに鼻で笑われた気がしたがたぶん気のせいだろう。
*恵那神社への道標
「式内恵那山道」ここに裕福な家の象徴である卯建が多く見られる。
枡形の途中に立派な卯建のある家並が揃う。うだつが上がらないという慣用句はお金のかかる卯建建造ができず裕福でない様をいう。屋根付きの仕切壁が卯建
*SL跡とミニ中山道
中津川駅から本州製紙中津川工場(現在は王子エフテックス)まで伸びていた鉄道の跡地に各宿場の碑を建てて紹介している。
地図
津島神社参道社標
駒場下町の桝形
駒場村の高札場跡
*上宿橋 浮世絵晴れの「中津川」比定地
もう一つの浮世絵「中津川」の比定地。幻ではない方の中津川宿を描いた場所。
動画は撮ったのでいずれスナップショットを載せる。
東山道 坂本駅碑
道標(苗木道)
*双頭一身道祖神
苗木道分岐点からの移設。一つの身体に男女の頭部がある文化圏の西端といえる。
文化13年(1816年)に建立され、男女別々の頭部を持ち、肩から足元にかけて一体となっている珍しい形態の石造物である。
*上宿の一里塚
中位段丘にあった坂本駅碑に対しここらは上位段丘なので上宿という。中津町の助役の尽力により1/3の規模で復元される。復元ではあるが北側はちゃんとある。南側は民家になってしまっている。
場所は上記双頭一新道祖神のすぐそば。
上用水之碑
浮世絵「雨の中津川」比定地このへん
浮世絵「雨の中津川」比定地へ参考本を頼りにそれらしいところへ行ってみた。おそらくこの辺で見て描いたのかなあ・・・というところだが現在は想像できない。
それにしてもなんで中津川宿を描くのにこんな郊外すぎるような場所で描いたのか意味不明。もう少し宿場寄りならわかるけど。しかも周りはおそらくその昔は普通の田園地帯で中津川らしさがあるのかどうかも疑問だ。
小石塚の立場跡
千旦林村高札場跡
一つの集落があったそうでここにも高札場があったという石碑が残っている。
中山道千旦林分岐道標
中山道 常夜燈
三ツ家一里塚跡(86里目
中津川宿から今日方面へ進み振り返って江戸方を見て撮った一枚。中央やや左に標示塔があるのがわかる。まわりもなんとなく土塁っぽくなっているのでおそらく名残があるのではないか。
坂本立場跡
明治30年の坂本村誕生の際にはここが役場にもなった。ここの北500mの美乃坂本駅にリニア新幹線駅ができる予定。
石碑のみ残るがもしかしてここの住人の方は、その昔坂本立場を運営していた人の子孫なのではないか。
個人的に未踏破な史跡
- 上記写真のないもの
マイマップ
地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。
地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。
動画もあり
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
参考にした書籍中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
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上記の著者 岸本豊氏の運営する中山道69次資料館についての記事も別ブログで書いているのでご興味があればどうぞ。
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