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中山道69次58番 関ヶ原宿 戦国時代の風景と史跡は一日では見きれません

宿場

このページで紹介する宿場は中山道69次の58番 関ヶ原宿。

江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡を紹介しています。

ガイドブックのようにどなたでもご活用いただけるよう中山道専門サイトとなっています。

  1. 中山道69次の58番 関ヶ原宿情報
    1. 基本情報
    2. 本陣位置
    3. 高札場位置
    4. 無料駐車場位置
    5. 周辺の宿泊施設
  2. 各史跡について
    1. 取材日
    2. 写真とコメント
      1. 山内一豊陣跡(東軍)
      2. 野上の松並木
      3. 六部地蔵
      4. 桃配山
      5. 徳川家康最初陣跡(国史跡)
      6. 十九女池(つづらいけ)と十九女乃宮(つづらのみや)
      7. 本多忠勝陣跡(東軍)
      8. 與市宮
      9. 関ケ原一里塚跡
      10. ますや旅館
      11. 相川脇本陣門&相川脇本陣跡
      12. 北国街道追分
      13. 本陣跡スダジイ(県天然記念物)
      14. 東首塚(国史跡)
      15. 首級墳碑 東首塚門内
      16. 松平忠吉・井伊直政陣跡 (東軍)
      17. 田中吉政陣跡(東軍)
      18. 徳川家康最後陣跡 床几場 徳川家康進旗験馘處
      19. 細川忠興陣所跡(東軍)
      20. 岡山烽火場(国史跡)
      21. 黒田長政陣跡(国史跡)(東軍)
      22. 未踏破 丸山のろし場分岐
      23. 関ヶ原宿京口跡
      24. 西首塚(別名 胴塚)
      25. 京極高知・藤堂高虎陣跡(東軍)
      26. 福島正則陣跡 春日神社(東軍)
      27. 不破の関北限土塁跡
      28. 宇喜多秀家陣跡(西軍)
      29. 関ヶ原古戦場 開戦地(国史跡)
      30. 小西行長陣跡(西軍)
      31. 島津義弘陣跡(西軍)
      32. 関ヶ原古戦場決戦地
      33. 島左近陣跡(西軍)
      34. 笹尾山・石田三成陣地跡(西軍) (国史跡)
      35. 大海人皇子兜掛石
      36. 不破の関跡
      37. 不破関資料館
      38. 不破関 西城門跡
      39. 関の藤川
      40. 大谷吉継陣跡(西軍)
      41. 松尾山眺望地
      42. 大谷吉継の墓(国史跡)
      43. 常盤御前の墓
    3. 宿場としてより古戦場としての印象が強すぎる関ヶ原宿
      1. 印象違いすぎる
      2. 戦い各陣の動き
    4. 個人的に未踏破な史跡
  3. 個人的に行ったまたは行っておきたい地点のマップ
  4. 参考にした資料

中山道69次の58番 関ヶ原宿情報

基本情報

    • 本陣:1
    • 脇本陣:1
    • 旅籠屋:33
    • 家数:269
    • 今須宿3.9km←|→5.4km垂井宿
    • 最寄り駅:東海道本線関ヶ原駅0.3km

引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本

本陣位置

現在は形は残っていないが北国街道追分から北を見て奥にある八幡神社までが古山本陣だったようだ。本陣裏庭にあった椎の木が八幡神社の敷地となって入口境内に残っている。

高札場位置

黒血川のマークのすこし東にある。

無料駐車場位置

一箇所に駐車して関ヶ原宿すべてを見て回るのはちょっとハードなので数カ所に停めながら見て回るのが良い。

調べた限りの専用駐車場と無料駐車可能と思われる箇所をこのページ下のマップに残した。ただし一部私有地の可能性もあるので利用の際には注意が必要だ。

周辺の宿泊施設

各史跡について

できるだけ江戸方面から近い順番に掲載しているつもりです。また位置情報は記事下の地図にまとめて入れておくのでご参考ください。

取材日

2023年10月28日

写真とコメント

それぞれの位置情報は記事下の地図を参照してほしい。

山内一豊陣跡(東軍)

駐車場あり。江戸方から行くと野上間の宿を超えて松並木に入ってすぐあたりのところにある。松並木は中山道整備とともに植えられた

関ヶ原宿山内一豊陣跡

野上の松並木

古いものでは樹齢300年。笠取峠松並木に次ぐ長さがある。

関ヶ原宿野上の松並木

六部地蔵

駐車場あり。江戸中期に行き倒れとなった六部(巡礼する行者)を里人が地蔵を建てて祀っている。

関ヶ原宿六部地蔵

桃配山

大海人皇子が山桃を配って勝利した丘に徳川家康も最初の陣地を置いた。旧中山道脇に写真のような看板があるが実際の桃配山は右奥に徳川家康の陣旗が見えるようにさらに奥に向かって高くなっているところである。

関ヶ原宿桃配山

徳川家康最初陣跡(国史跡)

道を挟んで駐車場あり。道は通りが激しいので注意。

関ヶ原宿徳川家康最初陣地

十九女池(つづらいけ)と十九女乃宮(つづらのみや)

駐車場あり。

横笛を吹く若い女が関ヶ原宿へ椀を借りに来たという龍神伝説がある。

関ヶ原宿十九女乃宮

関ヶ原宿十九女乃宮

本多忠勝陣跡(東軍)

駐車場なし。

この先50メートル本多忠勝陣地となっているが実際に行ってみても今は畑があるのみ。考えてみたら陣地といってもそれなりに広大な場所に大勢の武士が陣取っていたわけでこの辺一帯が本多忠勝陣地と見ればここで撮影するのみで十分満足できる。

関ヶ原宿本多忠勝陣地

與市宮

駐車場あり。

ガソリンスタンドの脇にある路地は軽自動車が1台通るのがやっとの広さであるがそこを30メートルほど通って奥へ行くと少し広い場所がある。その広場(私有地かもしれない)から見て左手にこの與市宮はあり、入口はちょうど反対側まで歩いていくと見つかる。

與市とは関ヶ原與市のことで平安時代末期の人でこの地方を開拓したといわれている。京都で源義経(当時の牛若丸)に水たまりの泥をかけてしまったことから争いになり殺された。

関ヶ原宿与市宮

与市はこの地方の代官も勤めており、京の都へも度々上っていました。承安4年(1174年)、京からの帰途、雨上がりに馬で進んでいたところ、たまたま道端にいた牛若丸の袴の裾に泥水がかかってしまい、大喧嘩となり切り殺されてしまいました。その後、家来が関ケ原まで与市の亡骸を運び、墓が設けられました。後年、牛若丸の母常盤御前もここ関ケ原で亡くなり、葬られているのは歴史の不思議さを感じる出来事です。
引用:与市宮 | スポット情報 | 関ケ原観光ガイド

関ケ原一里塚跡

駐車場なし。

関ヶ原一里塚は痕跡が残っておらず酒屋さんの角のあたりという手がかりのみである。酒屋さんの写真を載せてもあまりおもしろくないのでその向かいにあるたまり醤油の会社が味わい深い外観なので載せておく。

関ヶ原宿関ヶ原一里塚付近

江戸時代から操業しているのならすごいが明治期になってからなのでそこまででもない。とはいえ長いことは長い。

ますや旅館

駐車場なし。

平安時代後期創業とのことでよく見なかったがこの行灯にそのようなことが書かれているようだ。

関ヶ原宿旅館桝屋

相川脇本陣門&相川脇本陣跡

駐車場なし。

表門の脇に「至道無難禅師誕生地」の標識も立つ。至道無難禅師とは江戸で活躍した高僧で日本橋白木屋初代大村彦太郎とはいとこに当たるとのこと。

慶長8年(1603年)、美濃国不破郡関ヶ原宿で本陣を営む相川治郎道祐と園の長男として生まれる。現在岐阜県関ケ原町大字関ケ原902番地の脇本陣跡に「至道無難禅師生誕地」碑が建つ。
引用:至道無難 – Wikipedia

関ヶ原宿相川家脇本陣

関ヶ原宿相川脇本陣

北国街道追分

駐車場なし。

正面に見えているのが八幡神社で鳥居のすぐ右に葉っぱだけ見えている大木がもともと本陣裏庭にあったスダジイ。

中山道と北国街道の分岐点は5箇所存在するといわれているがここもその一つ。ほかは追分洗馬、鳥居本、大津にある。

関ヶ原宿北国街道追分

本陣跡スダジイ(県天然記念物)

神社の東北に駐車場あり。

本陣裏庭にあった椎木が現在は八幡神社の境内として残っている。

関ヶ原宿本陣スダジイ

東首塚(国史跡)

駐車場は岐阜関ケ原古戦場記念館が近い。

この朱塗りの山門は尾張藩主徳川宗春の霊廟を昭和17年に移築したもので旧中山道の時代にあったものではない。

関ヶ原宿東首塚

首級墳碑 東首塚門内

徳川家康は関ヶ原合戦での戦死者を弔うために東西2箇所に首級墳を作った。右の石碑が首級墳碑で左の玉垣に囲まれ木が生えている塚が首級墳と見られる。

関ヶ原宿首級墳碑

松平忠吉・井伊直政陣跡 (東軍)

関ヶ原宿松平忠吉・井伊直政陣跡

田中吉政陣跡(東軍)

駐車場は岐阜関ケ原古戦場記念館が近い。

田中吉政なんて武将ほとんど知らなかったので調べてみたところ良いサイトを見つけた。とても一言二言では要約しきれないのでリンクを貼っておく。

戦国の出世頭・田中吉政とは?名バイプレーヤーのちょっといい話を紹介! | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

関ヶ原宿田中吉政陣跡

徳川家康最後陣跡 床几場 徳川家康進旗験馘處

岐阜関ヶ原古戦場記念館および関連施設の敷地内につき駐車場あり。

戦陣を進めた徳川家康はこの場所で勝利したわけだ。床几場とはざっくりいうと折りたたみチェアに座って戦況の報告を聞いていた戦国ドラマとかでよく見るあれだろう。

さらに首実検もここで行った。

関ヶ原宿 床几場 徳川家康進旗験馘處

実検を終えた首級は東軍兵は東首塚に、西軍兵は西首塚に葬ったという説もあるが実際にはそんなに区別できず敵味方問わず東西の首塚に葬ったのではないかと想像する。

関ヶ原宿徳川家康最後の陣地

ちなみに現在は岐阜関ヶ原古戦場記念館および関連施設の敷地になっている。

関ヶ原宿岐阜関ヶ原古戦場記念館

細川忠興陣所跡(東軍)

明智光秀の娘で細川ガラシャの旦那である細川忠興の陣所跡。

徳川と豊臣の対立が鮮明になると早くに徳川方につくことを表明し、妻ガラシャは石田三成に人質に取られることを拒否し自刃をすることになった。

関ヶ原宿細川忠興陣所跡

岡山烽火場(国史跡)

裏手から岡山という小高い丘を徒歩で登っていくがずっと竹林が茂っている。

関ヶ原宿岡山烽火場

関ヶ原宿岡山烽火場

登頂してみると、南宮山・松尾山・笹尾山・中山道・北国街道・伊勢街道などが一望できる絶好の地形であることがなんとなくわかる。

関ヶ原宿岡山烽火場

黒田長政陣跡(国史跡)(東軍)

この丘で黒田長政と竹中重門が布陣し、1600年9月15日濃霧が立ち込める午前8時頃狼煙がここから上がり関ヶ原の戦いが始まった。

関ヶ原宿黒田長政・竹中重門陣跡

未踏破 丸山のろし場分岐

未踏破

関ヶ原宿京口跡

痕跡不明

西首塚(別名 胴塚)

東首塚同様、関ヶ原の戦いの戦死者が葬られている。

関ヶ原宿西首塚

京極高知・藤堂高虎陣跡(東軍)

関ヶ原中学校の敷地内につき標柱すぐ真向かいの駐車場利用可能。

京極高知・藤堂高虎陣跡

福島正則陣跡 春日神社(東軍)

福島正則は秀吉の最側近に近かったにもかかわらず石田三成との確執がそれを上回り東軍家康方についたといわれている。

春日神社(別名月見の宮)の大杉は樹齢800年とのこと。ここは南宮山からでる月を見るのに良い場所ということから月見の宮と呼ばれていた。

関ヶ原宿福島正則陣跡

不破の関北限土塁跡

駐車場には北から土塁の切れ目を通って入る。壬申の乱後に設置された不破の関を囲む土塁。東山道を警備する関所の役割をしていた。

関ヶ原宿不破の関北限土塁跡

参考サイト
不破関とは|関ケ原町歴史民俗学習館

宇喜多秀家陣跡(西軍)

東側の入口道路に数台停められる程度の空き地があるが駐車場ではない。

ここは奥まで自動車で入るのはやめておいたほうがよい。すれ違えない道幅なのでUターンも困難である。

関ヶ原宿宇喜多秀家陣所跡

関ヶ原古戦場 開戦地(国史跡)

未踏破 東軍福島井伊、西軍宇喜多軍の突撃から始まった場所。

小西行長陣跡(西軍)

未踏破 駐車場あり

島津義弘陣跡(西軍)

未踏破 駐車場あり

関ヶ原古戦場決戦地

未踏破

島左近陣跡(西軍)

未踏破

笹尾山・石田三成陣地跡(西軍) (国史跡)

未踏破

大海人皇子兜掛石

未踏破

不破の関跡

不破関とは古代東山道の関所の1つであり、関ケ原の名前の由来の地である。天武天皇が不破の関を設けたことでこの地を関ケ原と呼ぶようになった

関ヶ原宿不破の関跡

不破関 – Wikipedia

不破関資料館

未踏破 車両での入口は国道21号から。駐車場に停めて不破の関跡や西城門跡など見に行くことはできると思う。

不破関 西城門跡

関ヶ原宿不破の関西城門跡 関ヶ原宿不破の関西城門跡

関の藤川

未踏破 この川を挟んで大海人皇子軍と大友皇子軍が戦った。一説によればこの川が関東と関西の境目。

大谷吉継陣跡(西軍)

実際の陣跡はこの松尾山眺望地を登って神社の奥へ行ったところにある。

関ヶ原宿大谷吉継陣跡

松尾山眺望地

率直に言って木がすぐ近くに生い茂っていてそんなに眺望は良くないのではないかと思うんだが戦国時代はそんなに木が多くなかったんだろうか。

関ヶ原宿松尾山眺望地

大谷吉継の墓(国史跡)

未踏破 関ヶ原の戦いになる前に大谷吉継は石田三成に「無謀であり勝ち目はない」旨を説いたらしいが聞き入れられず、それでも家臣である以上参戦したとのこと。その後は小早川隆景の裏切りにより藤川台で自刃した。五輪塔の横に忠臣湯浅五助の墓も寄り添うように建っているという。

常盤御前の墓

常盤御前とは平安時代末期の人で源義朝の側室であり、源義経の母だった女性である。

相当な美人だったという言い伝えがあり、その彼女の墓が関ヶ原宿にあるという。

宿場としてより古戦場としての印象が強すぎる関ヶ原宿

印象違いすぎる

江戸開府以降の関ヶ原宿としての史跡は数えるほどしか見当たらず、かといって町が近代化しているかというとそうでもない。旧中山道はおそらく昔通りに蛇行しているし古い建物がそこかしこにみられる。

中山道から左右に少し外れると数えきれないほどの戦国の史跡がありそちらを追うので手一杯になるのが現実だろう。おそらく中山道探訪が好きならその歴史を追うにつれ天下分け目の戦にも目が行くに違いない。

戦い各陣の動き

ためになる動画を見つけたので貼っておく。

個人的に未踏破な史跡

関ヶ原宿としてだけではなく古戦場として見るとまだ半分程度しか見切れていない現実があり、すべて見ておきたいと思ったら数度訪れる必要があろう。

個人的に行ったまたは行っておきたい地点のマップ

地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。

地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。

参考にした資料

上記の他にもみどころいろいろ書かれている。

参考にした書籍
4784071741
中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)

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中山道浪漫の旅 東編

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中山道浪漫の旅 西編

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上記の著者 岸本豊氏の運営する中山道69次資料館についての記事も別ブログで書いているのでご興味があればどうぞ。

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