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中山道69次18番 軽井沢宿 69次のなかで現代一番栄えている宿

宿場

このページで紹介する宿場は中山道69次の18番 軽井沢宿。

江戸方(東京)から京方(京都)へ向かって残っている史跡を紹介しています。

ガイドブックのようにどなたでもご活用いただけるよう中山道専門サイトとなっています。

中山道69次の18番 軽井沢宿情報

基本情報

  • 本陣:1
  • 脇本陣:4
  • 旅籠屋:21
  • 家数:119
  • 沓掛宿5.0km←|→10.4km坂本宿
  • 最寄り駅 北陸新幹線軽井沢駅 1.8km

引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本

本陣位置

高札場位置

不明

駐車場位置

旧軽井沢の市街地に駐車場は数か所あるが中仙道一の繁華街なので無料はない。

周辺の宿泊施設

各史跡について

できるだけ江戸方面から近い順番に掲載しているつもりです。また位置情報は記事下の地図にまとめて入れておくのでご参考ください。

取材日

過去に何度も訪問はしているものの旧中山道と意識したのは2021年頃からで史跡の写真もそのころから撮ろうと探している。

写真とコメント

それぞれの位置情報は記事下の地図を参照してほしい。碓氷峠の大部分は記事執筆時点では未踏破なので他の参考になるサイトを引用させていただく。

栗が原

明治天皇御巡幸道路と中山道が分かれる場所で明治8年「見廻方屯所」ができ、これが日本初の交番といわれている。

碓氷峠真っ只中なので徒歩でないと見ることができないということで管理人はまだ未踏破である。

山中立場標識

13軒もの茶屋があったといわれ茶屋本陣には上段の間もあった。ちょっとした町だったようで明治初期にはこの地に小学校ができた。

ここは平坦な尾根が続いて幅もあるところに出ます。小台地といってもいいかもしれませんね。
ここには昔は集落があったそうです。勿論、中山道の休憩所としての集落です。力餅、わらび餅などが名物だったようです。
山中茶屋は峠のまんなかにある茶屋で、慶安年中(1648〜)に峠町の人が川水をくみ上げるところに茶屋を開いた・
寛文二年(1662)には十三軒の立場たつ場立場茶屋ができ、寺もあって茶屋本陣には上段の間が二か所あった。明治の頃小学校もできたが、現在は屋敷跡。墓の石塔。畑跡などが残っている。(案内板)
引用:オコジョの散歩道 〜浅間を仰ぎながら〜 歴史の山道 中山道碓氷峠2 人々の消えた道 山中茶屋など 

一つ家(山中一里塚)跡

「老婆がいて旅人を苦しめたと言われている」という立て看板があるが現代でも個人的に単独では通りたくない。

山中坂は空腹では上れないことから飯喰い坂と呼ばれています。そして子持山麓の東側には一つ家の茶屋があり、老婆が夜な夜なここを通る旅人を苦しめたという伝説があります。

付近には一里塚があったといわれています。

あまりにも上り坂がきつく、旅人にとって難所であったことからこのような伝説が生まれたのではないかといわれています。
引用:老婆が旅人を苦しめた?旧中山道の山中坂にある謎の看板が話題に

陣場が原和宮道追分

やがて、子持山の立て札と、陣馬が原の立て札。ここが分岐で、旧中山道は左に入ります。右の林道は、皇女和宮の道&安政遠足の道。

ガイド本によると、旧中山道は熊が出たり、雨で増水すると通れないところがあり、東京屋の方も、旧中山道は通れないかもしれない、と言っていたので、私は皇女和宮の道を通ることにしました。一人旅だから、回避できる危険は回避して、安全な旅を心がけるべきだと思います。

林道歩きは変化には乏しいけれど、一定に歩けるので、ぐんぐん距離を伸ばしました。
引用:2度目の中山道六十九次歩き7日目の4(碓氷峠越え後半) – 紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅 

人馬施行所跡

接待茶屋跡とも呼ばれ、江戸の篤志家加勢屋与兵衛がつくらせた茶屋である。施行所とは施しをするところで峠で疲れた人馬のためにほぼ無料で茶菓子など配ったと考える。

ちなみに加勢屋与衛は和田峠にも接待茶屋を作った。

熊野神社

群馬県と長野県の県境を挟んで2つの神社が同居している面白い神社がある。

神社内の古鐘の銘から鎌倉時代からこの神社前を中山道(当時は東山道)が通っていたのがわかる。

こちらの神社については管理人の別運営のブログで紹介していた。

【長野県】ホームページがちょっとポップな熊野皇大神社に行ってみたら2県で競っていた
嫁氏がでかけていたので長女と二人で軽井沢まででかけてみた。軽井沢といってもアウトレットには行きたくないし、旧軽井沢とか中軽井沢なんてエセセレブが多くてうんざりだからもっと奥地の神社だか展望台だかに行ってみることにした。 結構良かったので記録

芭蕉句碑

一度行っていて写真を撮ったはずだが昔のことでどこかにいってしまっている。後日撮りなおしにいく。

つるや旅館

江戸時代までは茶屋として営業していたようだが明治期になって旅館として開業して繁盛しているっぽい。

長久保宿の一服処濱家も明治期になってから旅館を建てたが街道の往来が途絶えてしまったため開業することなく終わったので対照的だ。恐るべし軽井沢。

軽井沢宿つるや旅館 軽井沢宿つるや旅館

明治天皇軽井澤行在所

正直言って明治天皇の行在所は日本全国あちこちあるし、軍国主義の象徴でもあるので残したくはないが軽井沢宿は史跡が少なすぎたのでこれも残しておく。

軽井沢宿明治天皇行在所

中山道浮世絵描写箇所

比定地らしきところへ言ってみたが西北方向は木が生い茂っていて浅間山はまったく見通せなかった。

軽井沢宿浮世絵比定地

感想述べておく

軽井沢は昔(といっても20代後半)からしばしば家族でドライブで行くのにちょうどよい場所であったが知っている限り昔から人が多かった。

近年中山道史跡に凝りだして違った観点から見るようになってもやはり人が一番多い宿場跡ではある。人が増え建物が徐々に近代化されるにつれ昔の古い建物がほとんど失われているのはやや残念に思うが仕方ない。

セレブ用別荘地および避暑地としてとしてすっかり定着してしまい混雑甚だしいのでもはや史跡を見るため以外にこの地にはとくに興味はない。

目下、碓氷峠の史跡を見切れていないのでまた訪れることはあるであろうが、いずれ条件の良い日に坂本宿側から徒歩で踏破したい。

未踏破史跡

  • 栗が原
    群馬県初の交番かと言われている見廻り方屯所跡地
  • 入道くぼ
    馬頭観音などあり
  • 山中茶屋跡
    13軒もの茶屋があり明治になって茶屋本陣が小学校にもなった地
  • 一つ家(山中一里塚)跡地
    老婆が旅人を困らせたところ
  • 陣場が原和宮道追分
    旧中山道と和宮降嫁用安易道との分かれる場所
  • 人馬施行所跡
    篤志家加勢屋与兵衛が作った施す茶屋
  • 芭蕉句碑(行ったことあるが写真ない)

個人的に行ったまたは行っておきたい地点のマップ

地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。

地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。

参考にした資料

上記の他にもみどころいろいろ書かれている。

参考にした書籍
4784071741
中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)

¥1,483 (中古品)(2024/01/05 13:59時点の価格)
平均評価点:5つ星のうち4.1
>>楽天市場で探す
>>Yahoo!ショッピングで探す

4784072837
中山道浪漫の旅 東編

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平均評価点:5つ星のうち4.6
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4784072942
中山道浪漫の旅 西編

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上記の著者 岸本豊氏の運営する中山道69次資料館についての記事も別ブログで書いているのでご興味があればどうぞ。

沓掛宿5.0km←|→10.4km坂本宿

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